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壬辰倭乱で傲慢で執ような豊臣秀吉、侵攻を細かく指示

登録:2016-01-22 23:50 修正:2016-01-23 06:21
豊臣秀吉=資料写真//ハンギョレ新聞社

 日本の戦国時代に天下を統一した後、朝鮮を侵略(壬辰倭乱、日本では文禄慶長の役)し韓民族に大きな苦痛を抱かせた豊臣秀吉(1537~1598)はどんな人物だったのか。 彼の几帳面で執拗な性格を示す文書が公開され注目を集めている。

 日本のマスコミは、「秀吉が家臣の脇坂安治(1554~1626)に送った33通の未公開書状を東京大学歴史編纂所が解読した」と21日報道した。

 書状が送られたのは、秀吉の主君だった織田信長(1534~1582)が日本の天下統一を目前にして部下の背信(本能寺の変)により死に2年が過ぎた1584年からの10年間だ。 秀吉はその後、信長の政権を受け継いで日本統一に成功する。

秀吉が家臣の脇坂安治(1554~1626)に送った33通の未公開書状=資料写真//ハンギョレ新聞社

 書状で目につくのは壬辰倭乱に関連した内容だ。 秀吉は「小西行長が釜山の海城を陥落させたと聞いた。共に攻撃しろと聞いた。 はやく合流して戦え」 「しっかり高麗国を征服しろ」 「土木工事をしっかりやれ」という内容が含まれている。 NHK放送は手紙には「中国の明国まで支配しようとした意志も記されているなど秀吉の野望が垣間見える」と報道した。

 彼の傲慢放縦な性格を伺わせる一節もある。 秀吉は別の手紙で「私はそんなに甘くない。信長の時のように許されると思ってはならず厳格に処罰する」として追放された家臣をかくまうなという警告もした。 毎日新聞はかつての主君だった信長に「公」という尊称を付けていない点が注目されると指摘した。

 手紙に登場する脇坂安治は、KBS(韓国放送)ドラマ「不滅の李舜臣」で、李舜臣に対抗する倭の代表将帥として登場し、映画「鳴梁」(ミョンニャン)の舞台である鳴梁海戦にも参戦した。 東京大学歴史編纂所の村井祐樹助教は「秀吉の細心な性格を裏付けるという意味で貴重な資料」と評価した。

東京/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/727510.html 韓国語原文入力:2016-01-22 20:55
訳J.S(983字)