聖書で天地創造は光で始まる。韓民族の誕生神話は音で始まる。 音には波長とエネルギーがある。 天地開闢する音は律と呂だ。 律は陽の音で、呂は陰の音だ。 そのような音によって星が生まれ、麻姑が生まれた。 麻姑は子供たちに天の楽器を演奏する方法を教える。 音の源泉である楽器を演奏する方法を教えたということは、万物を主管する方法を教えたという意味だろう。 伝統礼楽は王が世の中を調和させるという無言の約束だ。 音楽で示す政治公約であるわけだ。
淳昌からいきなり上京、楽器店でアルバイト
修理の技術を生かして楽器製作業を興し成功
40代半ば“編磬・編鐘”の復元に挑戦
宗廟祭礼楽“初めと終わり”の記録が全て
空港の土産品売場で“編磬の玉石”を見つける
「この世のすべての音を集めた博物館が夢」
西洋にオーケストラがあるように、韓国には宗廟祭礼楽がある。重要無形文化財1号でありユネスコ世界無形遺産でもある宗廟祭礼楽は、最初に編鐘の鐘の音で始まり、編磬の玉の音で終わる。 編鐘の枠の上では青龍が空を舞い、二本の柱の受け台には青い獅子が彫刻されている。 青色は東と春と始まりを意味し、獅子は獅子吼のように雄壮を意味する。 編磬には黄金色の鳳凰と白い鵞鳥がいる。 鳳凰の黄金色は中央を意味し、白い鵞鳥は秋空を飛ぶ鵞鳥の清らかな声と西を意味する。 編磬はすべての音の基準であり終わりを飾るので白色を使う。
音の高低がある有律打楽器である編磬は、同じ大きさの“L”字形の玉石16個の厚みで、編鐘もまた鉄製の同じ大きさの16個の鐘の厚みで音色を調節する。 厚いほど高い音が出る。 同等の西洋楽器では楽器の大きさで音の高低を調節するのとは異なる。 そのために編磬や編鐘を作る人には絶対音感と手技が要求される。
日帝強制占領期間に製作法が途絶えた編磬と編鐘は、重要無形文化財42号である楽器匠キム・ヒョンゴン氏(80・写真)の手で蘇った。 韓国で唯一彼だけができる。 彼は正規教育機関で音楽を習ったことはない。 徳寿(トクス)商高中退の学歴だ。 だが、彼はこの世にあるあらゆる楽器に触れることができるという。演奏するのではなく修理できるという意味だ。 修理できるということは、楽器の音を知っているということだ。 習わなくとも基本的な楽器の音を出せるという。 十分に最高の絶対音感保持者だ。
彼は全羅北道淳昌(スンチャン)の比較的裕福な農家で四男二女の三番目の息子として生まれた。 聡明だったが朝鮮戦争のためにきちんとした勉強はできなかった。 ソウルの名門高に進学したかったが家が反対した。両親に隠れて木をトラックに積んで売った金4000圜(当時、米二袋の価値)を持って家を出てソウルに上京した。昼は金を稼ぐために鍾路(チョンノ)3街の楽器店で働き、夜は学校に通った。 天性の絶対音感と手技で彼はすぐに楽器修理名人と噂になった。 ピアノ、ギター、サキソフォンなど、直せない楽器はなかった。 彼は独立して楽器店を構えた。 そして楽器製作に乗り出した。 木琴、タンバリン、ドラムなどを作り金も稼いだ。 彼が国楽と縁を結んだのは40代半ば。偶然に会ったハン・マニョン国立国楽院長が彼の才能を知り、世宗(セジョン)文化会館開館式で演奏される国楽打楽器“方響”の製作を依頼した。 記録も全くない状態だったが、西洋打楽器を作った経験のある彼は“方響”の政策に成功し、編磬と編鐘の復元に着手した。
彼は編磬の玉を探して2年半かけて中国全域をさ迷った。 延辺から内モンゴル、雲南、浙江、敦煌まで歩き回ったが徒労だった。 涙を流しあきらめて帰国したが、偶然に空港で玉で作られた土産品を買った。 手の平に握ってこねくりまわせば元気になるという何の変哲も無い玉石だったが、帰国して鉱業振興公社で成分分析をすると探し回っていた玉石だった。 この玉石を削り整えて艶が出るまで、微細な差で音色が変わるので手袋もはめずに素手で作業しなければならない。
編鐘の復元もやはり容易ではなかった。 伝統編鐘は完全な円形ではなく楕円形で、上部は狭く下部は広く、共鳴が不規則だった。 鮮明できれいな音を出すためには鉄鉤で編鐘の内部をかき出さなければならない。 最も高い音と最も低い音を出す鐘の厚みの差はわずか2ミリ。 わずか2ミリの間に16個の鐘を厚みの差を付けて作らなければならない。 一つの重さが30キログラムもある鐘の内部を少しづつ削り出して、牛角で作った槌で叩き、再び内部を削り出して叩くことを繰り返さなければならない。内部を削り続けて摩擦熱で鐘の表面温度が上がれば冷ますのだが、冷水で冷ませば共鳴が減るので自然の風で冷まさなければならない。 それを一日中繰り返さなければならない。 朝鮮時代には編磬や編鐘を作る時、120人の木工、鉄工、石工など各方面の職人がかかりきりで半年かけて完成させたという。 彼はそれを20年間仕事を習ってきた伝承者である息子のジョンミン氏と二人でやり遂げた。 彼は一年に一個程度の編磬と編鐘を作る。 彼の夢は世界楽器博物館を作ること。「人間が作った世の中のすべての音を保管して聴かせたのです。いつかはできるでしょう。玉石を探した奇蹟のように…」
坡州(パジュ)/写真・文 イ・キルウ先任記者
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■楽器匠とは
楽器匠は韓国の伝統楽器を作る職人だ。 高句麗古墳壁画の中に管楽器、弦楽器、打楽器が全て登場していて、三国時代から楽器匠がいたという。 楽器匠は木、鉄、石、絹糸、竹、布、土、革の八種類を利用して楽器が持つ特有の音色を正確且つ美しく創り出す技能人という点で一般工芸職人とは区分される。
楽器匠の脈は楽器を作り使い始めた時から形成され、その技術は国家の主要技術として伝えられてきたが、楽器匠の存在と技能伝授に関する記録は殆ど残っていない。 特に高麗時代以前の楽器匠に関連した記録はほとんど見つかっていない。 中国の七絃琴を改良してコムンゴ(韓国の琴)を作った王山岳と伽耶琴(カヤグム)を作った伽耶の嘉悉王に関する記録を通じて楽器製作に関連した内容を覗き見ることができる。
朝鮮時代の『経国大典』には風物匠、鼓匠、錚匠などの楽器匠の名称が残っている。 儒教の理念で礼楽を重視した朝鮮時代、宮中には楽器都監、楽器造成庁などの独立機関が設置され、楽器を製作して使っていた。 朝鮮時代の楽器製作技術は、国家音楽機構であった掌楽院を通じて受け継がれたが、朝鮮王朝の滅亡により伝統的な職人組織が瓦解した。
現在はキム・ヒョンゴン(編磬、編鐘)、コ・フンゴン(伽耶琴、コムンゴ)、イ・ジョンギ(プク(鼓))の3人が重要無形文化財楽器匠だ。
절대음감 하나로 일제가 없앤 ‘조선왕실 예악’ 되살려내다
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/711768.html?_fr=mt3