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“拇印捺さない? お前、死刑にしてしまうぞ”

登録:2009-06-26 16:24

原文入力:2009-06-26午後03:29:11
‘22年前のスパイ事件’再審法廷に立った刑務官の証言
検事は被疑者の頬を殴って足蹴りを…

チョン・デハ記者

←刑務官イ・ヨンヒョン(左側)氏が25日午後、光州,錦南路のある喫茶店で光州高裁の‘キム・ギ スパイ集団事件’再審裁判請求人キム・ギ氏に会い22年前のことを思い出しながら話を交わしている。 チェ・ソンウク ドキュメンタリー監督提供.

帰ってこられないこともありうると思った。1987年8月のことだった。証言のために光州に発つ前日、妻に「もし私が帰ってこなければ辞表を出して退職金を受けとって暮らしてゆきなさい」と頼んだ。スパイ疑惑被告人の証人として法廷に立つという話はついにできずに家を出た。

永登浦拘置所の刑務官だったイ・ヨンヒョン(55・現議政府刑務所保安管理課矯衛)氏はその年7月末、光州高等法院から‘キム・ギ被告人証人召喚状’を受けとった。イ氏はスパイ疑惑で拘束起訴され光州刑務所に収監中のキム・ギ(59)氏に86年5月光州刑務所で会った。イ氏はキム氏の出廷を引き受け、2~3回検察調査に立会い担当検事の暴力行為を目撃した。

当時キム氏が「調書の内容が事実でない」として拇印を押すことを拒否し、光州地検特捜部キム・某検事は“この×××,保安隊ですごいことになっていたのを全部はずして、いくつかだけ残しておいたのに捺さないだと? お前! 俺が死刑にさせてしまうのぞ」と大声を張り上げた。続いてキム氏の頬を2回ほど殴り足蹴りまでした。キム氏の唇から血が流れた。

イ氏が被告人証人召喚状を受け取り、幹部と同僚たちは「スパイ罪の被告人なのに出て行く必要があるのか」「バカことするな」と止めた。幾晩も悩んだイ氏は‘良心をだますことは永遠に苦しいこと’と考え証言を決意した。法廷に立つ一日前、今度は光州高等検察のイ・某検事が訪ねてきた。イ検事は「保安法違反服役者の話を聞いてやるのか?」と尋ねた。イ氏が「事実の通りに証言する」と話すと、イ検事は「時局も良くないのに、勤めたい処がないのか」と尋ねた。イ検事はイ氏を2時間以上も何の話もせず椅子に座らせておいた。

だがイ氏は87年8月20日光州高裁控訴審裁判で「担当検事がキム氏に‘調書に拇印を捺さなければ死刑にさせてやる’と言った」と証言した。キム氏は「藁をもつかむ心情でイ氏を証人に申請したが、イ氏が突然出てきて私の方がもっと驚いた」と当時を回顧した。しかし結局キム氏は懲役7年を宣告された。

イ氏はこの証言の後‘要注意人物’になった。刑務所内で22年間、凶悪犯罪収容者管理業務だけを引き受けた。それでもイ氏は「後悔はしていない」と話した。キム氏事件は2007年、国防部過去史委員会で‘保安隊で43日間閉じ込められ水・電気拷問を受けて虚偽自白を強要された可能性が高い’という結論が出された。これに伴い去る4月、光州高裁はキム氏の再審請求を受け入れた。

22年の歳月が流れた後の25日午後、イ氏は再び光州高裁の法廷に立った。同じ事件の証人としてまた‘真実’を証言した。イ氏は当時の証言と関連して「キム氏が力もなく持っているものもない人だから助けたかった」として「難しいことが近づく度にこのことを思い出して私も頑張ることができた」と話した。

イ氏は26日‘国連拷問被害者支援の日’記念大会で民主化実践家族運動協議会が授与する感謝盃を受けとる。この感謝盃には‘あなたの証言は絶望の奈落に落とされた拷問被害者にとって光と勇気になりました’と記されている。

当時、キム氏事件の担当だったキム検事は89年頃に亡くなった。弁護士に変身したイ・某前光州高等検察検事はこの日、キム氏事件に対して「そういう話をした記憶は全くない。キム氏事件も知らない」と話した。

チョン・デハ記者daeha@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/362535.html 訳:J.S