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[単独]正祖 ‘警護部隊’ 200年前の威容 現る

登録:2009-06-12 15:02

原文入力:2009-06-12午前09:33:55
壯勇營 ソウル陣営 描いた ‘本営図形’ 発見
195cm 彩色図で梨峴宮跡地に位置した本営含む
水洗式化粧室備えた653間 壮大な軍事施設

ノ・ヒョンソク記者

朝鮮 正祖王(在位1776~1800)の時代において決して無視できないものが親衛部隊 ‘壯勇營’ だ。‘凛々しく勇敢な部隊’ という意味の壯勇營は正祖が王権強化のために秀でた最精鋭武士を選に特別に作った軍隊であった。在位期間中ソウルと華城(水原)に駐留部隊を置き、正祖を守った壯勇營のソウル本営(内営)を詳細に描いた大型彩色絵画と建物配置図面が発見された。朝鮮末期の軍営細部を描いた図面が出てきたのは今回が初めてだ。

韓国学中央研究院藏書閣研究所のチョン・ジョンナム研究教授とイ・ワンム研究員は最近、昔の王立図書館である藏書閣書庫と高麗大博物館に所蔵された ‘本営図形’ 3枚が壯勇營軍営を描いたものという事実を明らかにし、学術誌<藏書閣>21号に内容を公開した。

‘本営図形’ はソウル,鍾路4街~昌慶宮間の梨峴大路東側(現在の恵化警察署とその付近)にあった壯勇營本営の内部構造を描いた彩色絵画とその平面図である建物配置図面の2種だ。1799年に描かれた彩色絵画と1801年に作成した建物図面は藏書閣に、1799年に描かれた建物図面は高麗大博物館に所蔵されている。壯勇營の内部配置と建築形態を把握できるように表現され、正祖などに軍営現況を報告するためのものと推定される。

まず眼を引くのは、障紙三幅を繋いだ長さ195.8cmの美しい彩色絵画だ。主要指揮所と幕舎,武器・軍需品倉庫,池など当時の内部の姿を眺望するように下絵を描き几帳面に彩色した後に施設ごとに漢字名称が書き込まれている。

絵を見れば壯勇營は広い敷地に多様な軍事関連施設を備えている。隊長の居所である北側の内大庁,将校らが勤める中央部の外大庁,各種武器を作り管理する南側の軍器大庁,軍用米や武器類などを保管する倉庫である東西南北行閣などが見える。内大庁付近に景福宮,芙蓉亭に似た池と亭,イチョウが見え、軍器大庁の上にもしだれ柳の垂れる大きな池があり、軍施設にらしからぬ趣が漂う。場所が本来王室の別宮であった梨峴宮なので池や亭などはその名残だという推定だ。

倉庫行閣など絵の中の建物は多くの煉瓦を用いて壁体を造っているのが特徴だ。正祖が水原,華城を造る際に用いた煉瓦築造技法をそのまま活用したわけだ。水洗式化粧室もある。絵の下の池から流れ出た水路が2ヶの厠間(化粧室)をっ通っているが ‘水道’ という字句が書かれ厠間の下水を流し汚物が洗われるようにする仕掛けを見せてくれる。この他に別の2種の平面図図面を見れば、建築物の規模が本来の場所の梨峴宮の間数は66間だったことと比べ、1799年の図面は532間半、1801年の図面では653間に増え、正祖が逝去前まで壯勇營の規模を拡大することに力を注いていたことが分かる。イ・ワンム研究員は「現在、朝鮮末期軍営自体に対する資料が殆どなく、壯勇營図面は当時の軍制史研究に大きい役割を果たすだろう」と話した。

壯勇營軍営は正祖死後の1802年、政敵である沈煥之一派によってなくなり、別の軍営,倉庫として使われた後、旧韓末と日帝強制支配期の時には日本軍駐屯地,タバコ工場の社宅に変わる。解放後、東大門警察署(恵化警察署)や大型商業ビルが立ち並ぶ都心に変わった。樹齢500年を越えたイチョウ(絵中央の大きな木)だけが本来の場所を守っているのみだ。文ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr,図版提供韓国学中央研究院

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/360057.html 訳J.S