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‘癌と闘う少女’と‘アホ’ 天国で ‘邂逅’

登録:2009-06-11 20:54

原文入力:2009-06-11午後07:24:32
“盧大統領に会いたい” 文上げるやポンハで ‘本当に’出会い
3ヶ月後、天国へ…盧 焼香所に 惜しんだアルバムで弔問

ソン・ホジン記者

←故ソン・ミニョン氏(左側)と故ソン・ミニョン氏に会った故ノ・ムヒョン前大統領. 出処:人が生きる世の中(http://www.knowhow.or.kr)

癌闘病 故ソン・ミニョン氏と盧前大統領 いきさつ公開

“ボンハ村に行ってきて(ソン)ミニョンが ‘生きたい’ と言ったのに….”

昨年6月のことだった。“3月を越せない”と言った医師の話より少女は3ヶ月を頑張っていた時期だった。18才の少女が車椅子に乗り金海,ボンハ村を訪れた。口にはマスクをしていた。骨肉腫癌が襲ってきたのは少女が12才の時。その戦いを勝ち抜いて、高等学校入学を控えて制服まで買って気持ちが浮き立った少女にいきなり血液癌が再び訪れた。制服を着ることはできなかった。一般学校に行くことが出来ない少女は病気を必死の思いでこらえながら画像で勉強する慶南の夢愛サイバー学校に行った。ここには少女と同じような病気と同じような希望を持った同じ年頃の友達がいる。

夢愛サイバー学校クォン・トヒ先生は「願いを聞いてあげる時間があります。ところでミニョンの願いは ‘ノ・ムヒョン大統領に会いたい’ ということでしたね」と話した。

先生は手紙を書いた。先生は盧前大統領のホームページである<人が生きる世の中>に「子供が痛いからだを引きずってボンハ村に行ってノ・ムヒョン前大統領様に一度でも会えたらと思っているのですが、行くことができるものでしょうか」と書いた。文には「この手紙が果たして読まれるでしょうか? 読まれても連絡をいただくことが可能でしょうか」という心配も付記された。

先生の手紙は‘受取人不明’で戻ってきたりはしなかった。少女と盧前大統領の本当の出会いがなされたのだ。盧前大統領のボンハ村自宅前だった。少女はピンク色の帽子をかぶり、盧前大統領は麦わら帽子をかぶっていた。

盧前大統領は先生と一緒に車椅子に乗って来た少女の目の高さに合わせて、体を下げて座った。そして黒のペンで文を書いていった。“意志の勝利を祈って 2008.6.26.ノ・ムヒョン”

クォン先生は「昨年3月まで生きられないと言って子供が苦しがったけど、ボンハ村に行ってきた後で元気を出しました。生きたいと言ったからです」と思い出させた。先生は盧前大統領との出会いを記念したアルバムを作り、子供にプレゼントした。盧前大統領のホームページに感謝の手紙も再び送った。「とてもかわいいミニョンの時間がこれ以上止まることのないよう願います」という手紙であった。少女は盧前大統領との思い出が込められたアルバムを受け取った後、さらに3ヶ月生きた。

少女がこの世を去って8ヶ月後の去る5月末、盧前大統領のボンハ村焼香所遺影の前に少女が大切にしたアルバム一冊が上げられた。アルバムには少女が最後まで通った学校の先生たちの追慕の手紙もあった。「あの空でこの手紙を見ていらっしゃるでしょうか。こうしてこのアルバムを差し上げることを…. その日ミニョンの手を握って下さったその暖かい手と心で生きてこられて、そのように逝かれたことと思います」という手紙だった。

天国で再び会った ‘少女と大統領’ のいきさつは参加政府時期に大統領府広報企画秘書官室で務めたシン・ミヒ前行政官が11日<人が生きる世の中〉に文を載せて知らされることとなった。シン前行政官は盧前大統領退任以後、金海に引越して盧前大統領をそばで補佐してきた。

シン前行政官はこの文で「(当時)大統領は心を痛めながらも少女のために明るい表情を失わないように努め、希望を失わないように言いながら回復を祈る言葉をかける間、写真を撮る間、ずっと少女と握った手を離さなかった」と書いた。また遺影に捧げられたアルバムと追慕の手紙を見て(盧前大統領)秘書陣たちも涙を流したと書いた。シン前行政官は少女のような境遇の生徒達がいる慶南の夢愛サイバー学校に対する関心も願った。

シン前行政官の文を見たネチズンたちは「お二人が天国でも孤独でないことを望む」等の反応を示し、少女と盧前大統領の死を哀悼した。

ソン・ホジン記者dmzsong@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/359941.html 訳J.S