本文に移動

‘時局痛嘆’ カン・ヒナム牧師 命を絶つ

登録:2009-06-08 11:34

原文入力:2009-06-07午後10:24:18
“殺人者イ・ミョンバク…民衆が国を正さなければ” 遺書
生涯 統一・民主化運動…葬式 ‘社会葬’に

パク・イムグン記者

←カン・ヒナム牧師

統一・民主化運動に生涯を捧げた白石 カン・ヒナム牧師が自ら命を絶った。享年89歳。1998年祖国統一汎民族連合(汎民連)南側本部議長を務めたカン牧師は「4・19と6月民衆抗争のように民衆が国を正さなければならない」という趣旨の遺書を残した。
カン牧師は去る6日午後7時45分頃、全北,全州市,三川洞の自宅で亡くなっているのが発見された。カン牧師の夫人は「外出から帰ってきてみると、夫がアパートのボイラー室で自ら命を絶っていた」と話した。カン牧師は自身の部屋に ‘この命を民族の祭壇に’ と書いた筆文字1枚と ‘残す文’ という遺書1枚を残した。遺書には「今は民衆主体の時代だ。4・19と6月民衆抗争を見よ. 民衆の他には国を正す主体はいない。第ニ 6月民衆抗争で殺人魔イ・ミョンバクを放り出そう」という内容が記されていた。

故人は去る5月1日、イ・ミョンバク政府の民主主義後退と南北関係梗塞を惜しんで断食したが、周辺の引き止めで9日ぶりに終え去る5日聖公会大で開かれた時局行事に最後に参加した。

カン牧師は全北,金堤出身で、1950年に韓国神学大学を卒業した後1970年代の維新反対闘争などで5回にわたり監獄の苦しみを体験した。1980年代に韓国キリスト教農民会理事長を務めた彼は1994年北韓金日成主席が死亡し、汎民連南側本部代表団を率いて弔問しようとしたが拘束されもした。2003年にはイラク派兵阻止のための木浦~ソウル千里徒歩行進と大統領府前断食を行った。

故人は2002年12月の16代大統領選挙の時に40年余ぶりに住民登録証を作りまた投票した。彼は1961年パク・チョンヒ前大統領がクーデターで政権を取って以来、軍部政権の下では国民の役割をできないとし1962年に住民登録証を破りすべての選挙と投票に参加しなかった。著書としては<新訳桓檀古記> <我が民族 整理された古代史> <民衆主義> <中国東北3省を行く>などがある。

葬儀は統一・民主社会葬として5日間行われ、10日午前8時全州,全北大病院から出棺した後、午後2時ソウル,明洞の香隣敎會で告別式を行う。故人の遺体は火葬した後、全州市,孝子洞のキリスト教納骨堂に安置され統一を熱望した故人の意向により北側の土に祀る予定だ。故人は膝下に2男4女を置き、次男カン・イクヒョン氏が全北道議員を務めた。

パン・ヨンスン全北民族ハナ共同代表は「(故人が)民主主義の後退と南北関係梗塞を嘆かれ、かなり以前から死を準備していたようだ」と語った。 (063)250-2450.

全州/パク・イムグン記者pik007@hani.co.kr

←全北,全州,全北大病院葬儀場 故カン・ヒナム牧師葬儀室に用意された故人の遺影. パク・イムグン記者pik007@hani.co.kr





←全北,全州,全北大病院葬儀場 故カン・ヒナム牧師葬儀室にハン・サンニョル牧師などが7日午後弔問している。 パク・イムグン記者pik007@hani.co.kr





←全北,全州,全北大病院葬儀場 故カン・ヒナム牧師葬儀室の片隅に故人が残した遺書が懸かっている。 パク・イムグン記者pik007@hani.co.kr



←全北,全州,全北大病院葬儀場 故カン・ヒナム牧師葬儀室の片隅に故人が去る5月1日 ‘この命を民族の祭壇に’ と書いた筆文字が懸かっている。 パク・イムグン記者pik007@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/359134.html 訳J.S