原文入力:2009-05-27午後09:18:33
←絵:キム・ヨンフン記者kimyh@hani.co.kr
市民編集者の目/
ローマの共和政が消えて帝政に移る過程で2つの分岐点があった。 外部的にはペルキンゲトリクスに代表される異民族の抵抗が粉砕されたことで、内部的にはブルータスに代表される共和派が壊滅したことだ。
34万人のガリア族軍隊を糾合したペルキンゲトリクスは5万人のローマ軍に敗れるや、同族を生かすために自身を殺すなり生きたままカイザル陣営に引き渡せと言う。ローマに強制連行された彼は監獄であらゆる侮蔑を受け6年もの歳月の後に処刑される。ポンペイウスとの内戦で忙しかったカエサルの一歩遅れた凱旋式に戦利品が必要だったためだ。
エジプト女王クレオパトラがオクタヴィアヌスに敗戦した後、毒蛇を使ってきれいに死んだのはローマの凱旋式に引きずられて行って受ける侮辱を避けるための彼女なりの‘尊厳死’だった。先立ってアントニウスに敗戦したブルータス、クレオパトラと連合したアントニウスも皆 ‘名誉型自殺’ で命を絶った。
ノ・ムヒョン前大統領の生涯も‘名誉型自殺’で締め切られた。しかし自殺とだけするには‘政治的他殺’という世論があまりにも沸き立っている。少し前まで一国の大統領だった人を自殺の岩に押し上げるのに作用した外部の力とは何だろうか?
道徳性の粗捜しに‘ハンギョレ’も一助…逝去後に態度を変える
‘政治報復の臭いに震えた’と言いながら権力・保守言論の牽制 不十分
真の統合のために ‘反対に進む韓国社会’ 正してこそ
巷間にはイ・ミョンバク政権と検察,言論を指定する人が多いが、筆者はその中でも言論が大きい力を振るったと見る。言論は立証されてもいない疑惑を検察の話だけを聞いて書き取ったばかりでなく、推測性の記事をむやみに書きまくり、検察捜査を先導することもした。よほどでなければ法務長官までが「虚偽報道が多い」と言っただろうか?
特に5年間ずっと盧政権に敵対的だった保守新聞らは半年にわたったホコリはたき式捜査で盧前大統領の道徳性に傷が現われ始め ‘死んだ権力’ をばかにするのに多忙を極めた。5月13日付<朝鮮日報> ‘朝鮮漫評’はチョン・サンムン前大統領府秘書官がパク・ヨンチャ会長から受け取ったという百万ドルを数えている姿を肖像画の中の盧大統領が唾を垂らして見下ろす絵を描いた。4月11日付<中央日報>のあるコラムは‘(パク・ヨンチャが)金ではなく糞便をまいて行った’として‘その便を食べて自身の顔に塗り付け全身にかぶった人々が過去の時期この国の大統領であり、その夫人であり子息だった’ と書いた。また個人ホームページやインターネット媒体までが加勢して ‘自殺教唆’もどきの‘言葉のあいくち’を投げつけた。
ノ・ムヒョン前大統領は2007年1月初め、‘事実ではない記事がむやみに出てきて凶器のように人を傷つけていく’ という要旨の発言をしたことがあるが、今顧みれば自身の退任後の運命を感知したようで背筋が寒くなった感じすらする。彼は結局、韓国言論の形態を少しも変えられないまま自身の生死を変えてしまった。彼は去る4月12日ホームページに「言論が根拠のない話をとてもたくさんして事件の本質がとんでもない方向にそれていっているようだ」と訴えたが詮無いことだった。‘恥さらしのための’記事は続き、わいろ事件の本質ではない金の用途を明らかにすることに取材力が集中した。‘億台の時計贈り物’の件が流れ出るなどして前職大統領一家はますます破廉恥犯集団にされていった。
<ハンギョレ>はこの局面でどんな役割をしたのか? 市民編集者室や読者センターにかかってくる読者からの電話には、前職大統領の自殺に<ハンギョレ>も責任があるという鬱憤が込められている。盧前大統領の生前に確実でもない記事を報道しておきながら、謝罪するどころか人のせいにばかりしているという指摘もあった。
25日付社説のように‘初めから政治報復の臭いに揺れ動いたノ・ムヒョン事件’という認識があったとすれば、厳重捜査を促す社説は自制してこそ正しくはないだろうか? 例えば去る4月15日には‘明らかにしなければならない数百万ドルの代価’という社説を書いた。2つの社説の間に40日が経過しており、その間の底引き網式捜査をしても追加で確認されたことは‘高級時計を贈り物に受けとった’という程度なのに、逝去の後になって態度が変わったのだ。
事実<ハンギョレ>は市民編集者室でも先月この欄を通じて捜査の政治的目的をもっと積極的に暴き、‘ノ・ムヒョンを捨てよう’という保守新聞のタイトルに対抗することを促した経緯があり、後半期には報道態度もやや変わったものの読者らはそれ以上の役割を<ハンギョレ>に期待したということができる。25日付4面 ‘前・現職特捜通検事たち“捜査方式に問題があった”’という記事も、早目に送りだすことができたはずということだった。同日5面‘ロウソクのあかりになった政権‘反転カード’税務調査疑惑’記事も同じだ。しかもそのような問題意識を持っていながらも検察と国税庁の意図に巻き込まれるような報道も少なくなかった点は痛切に反省しなければならない。
4月1日付‘漫評’も同じ脈絡で批判の余地がある。漫評の特性を考慮しても行き過ぎた誇張といえる。漫評の中の横断幕に‘歴代最もきれいな政権’と書かれた文句が ‘歴代最もきれいなところである政権’ に修正されている場面が出てくるが、機知は光っていてもわい曲報道に近い。盧政権は今まで疑惑に浮び上がったお金をみな合わせても最もきれいな政権ではないか? 金額が少ないからと肩を持つのではない。過去に財閥と結託して天文学的なお金を着服したり選挙戦をお金で買収した政権を道徳的優位に置いてはいけないという意味だ。しかも相当額は‘投資金’論議があり、ノ・ムヒョン-パク・ヨンチャの長年の親密なよしみ関係から推し量って贈収賄罪成立に疑問を提起する法曹人らもいる。
逝去当日朝の新聞の‘漫評’も前日製作する時点で全く予想できない突発状況であるとはいえ‘ノー+チョン・シニル’を一つのテープで縛り‘新商品1+1’で表現したのは行き過ぎだ。後ほど ‘お知らせ’ を通じて画伯が直接、‘検察捜査形態を批判する意図’ だったと解明して謝ったことはまだしも幸いだった。事件発生初期<ハンギョレ>インターネット版はあまりにも残念だった。ほとんどすべての新聞が事件発生をトップで扱っている頃でも<ハンギョレ>は‘盧前大統領自殺企図説…警察確認中’という題名の一行記事が4番目にのんびりと出されていた。
もちろん<ハンギョレ>は保守新聞に比べれば ‘ノ・ムヒョン捜査報道’ でだいぶ均衡をとっていたと考えることもできるだろう。しかし進歩言論の長兄であるハンギョレに対して感じた盧前大統領の失望感は「ブルータス お前もか…」を叫んで死んでいったカエサルのそれであったかも知れない。彼は「遠い山を眺めたくてもカメラが見張っていてその峰を眺めることはできない」として嘆いた。王朝時代の圍籬安置でも広場に出て行くことはできたのに言論によって部屋の中に幽閉されていてうつ病を育てただろう。そしてついにホームページ ‘人が生きる世の中’ に ‘死の話’ を残して孤立無援の心情で記者たちがいない明け方にみみずく岩に上がって身を投げたのだろう。
問題はまたも言論だ。保守言論により大きい威力を付与するメディア法案も国会に上がっている。保守言論は「誰も恨むな」という故人の遺言を誰よりもしばしば引用し和解と統合を語る。しかし真の和解は反省がなければ不可能だ。故人が追求した価値を認めるものは認め、反対に行く韓国社会の時計の針を戻すことこそ社会統合へ進む道だ. <ハンギョレ>が果たすべき役割も大きい。
ペルキンゲトリクスは嘗てのガリアの地であるフランスで、漫画<アステリクス>のローマ軍をこらしめるキャラクターとして復活した。遠い将来、盧前大統領も彼の価値を継承しようと思う人々の意思が集まり、みみずく岩に‘大きい岩の顔’として復活するかも知れない。波瀾万丈な彼の時代は史劇のよく使われる素材になりそうだ。その時、今日の記者たちはどんな姿に描かれるだろうか?
イ・ポンス市民編集者,セ・ミョンデ ジャーナリズムスクール大学院長
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/357361.html 訳J.S