原文入力:2009-05-25午前08:17:34
投身前 ‘苦痛の毎日’
‘私のために…’ 自責の念で止めたタバコもまた吸って
逝去 3~4日前 数回 “とても疲れた,死にたい”
イ・スユン記者パク・チャンシク記者チャ・サンウォン記者
←ノ・ムヒョン前大統領逝去2日目の24日午前、金海,進永邑,本山里,ボンハ村盧前大統領焼香所で陜川,海印寺僧侶350人余りと参拝した子息コンホ氏とユ・シミン前保健福祉部長官が嗚咽している。 /写真共同取材団
ノ・ムヒョン前大統領は遺書で‘果てしない苦痛’を吐露した。「本を読むことも文を書くこともできない」と書いた。「退任以後、立派な農夫になりたい」という約束どおり、平凡な ‘田舎の農夫’ として過ごした彼をこのように大きな苦痛の中に追い詰めたものは何だったのだろうか?
盧前大統領を近くで補佐した人々は「盧前大統領がやめたタバコを最近また吸い始めていた」と伝えた。それほど盧前大統領の苦悩が大きかったことを遠まわしに表現したのだ。
盧前大統領退任後、ずっとボンハ村で彼を補佐したキム・ギョンス秘書官は24日「盧前大統領は‘パク・ヨンチャ ゲート’が広がった先月7日以後、家の外へほとんど出て行けなかった」として「事実上の軟禁状態で肉体的・精神的にとても苦しがられていた」と話した。彼は「先月30日検察召還後には事件が終わると思ったがそうならなかった」として「烽火山登山を非常にお好きだったが昨年末、兄(ノ・ゴンピョン氏)事件以後にはほとんど山に登ることができなず、どれほど苦しかったか」と話した。
ヤン・ジョンチョル前大統領府広報企画秘書官は「昨年末健康診断で禁煙を強力に勧告されてクォン・ヤンスク女史も禁煙を勧め、結局タバコをやめたが今回の事件が拡大して再び続け様にタバコを吸われるようになった」として「最近は‘自分がやみくもに政治をして大統領をやった。そうでなかったとすれば皆がこうしたことにあわなかったのでは’として苦しみ自ら叱責する言葉をしきりに言われた」と話した。
←ノ・ムヒョン前大統領が逝去した23日、焼香所が用意されたボンハ村で娘ジョンヨン氏が涙を流し献花している。 /写真共同取材団検察調査直後、盧前大統領を訪ねたというキム・ビョンジュン前大統領府政策室長は「大統領が ‘パク・ヨンチャ(前テグァン実業)会長がそのような陳述をしたかしなかったかは分からないが、事実ではないことが多い。彼らは裁判過程で私を恥をさらさせようとしているだろう。とにかく裁判過程であきらかにしていくこと’と話した」として「大統領は特に脱税などの疑惑で拘束されたカン・クンウォン昌信繊維会長に対して‘何の誤りもない人が私を助けてそのような目にあった’としながら最も苦しんだ」と明らかにした。
盧前大統領は特に最近子供たちまで検察調査を受けることになり、より一層苦しんでいたことが分かった。去る2月27日梁山釜山大病院健康増進センターで1泊2日日程で健康診断を受けた盧前大統領はいつもこの病院の主治医であるチョ・モン教授に健康状態の点検を受けた。逝去一週間前には盧前大統領の私邸で勤めるパク・ウンア秘書官から「盧前大統領の健康が良くなく入院をしなければならないようだ」という連絡を受け、病院側で病室を準備したりもしたが「大統領が入院を希望されない」として予約を取り消すこともした。逝去3~4日前には盧前大統領が故郷の友人イ・某氏などに会った席で「この頃とても疲れた。死にたい」という話を何回もしたと分かった。
盧前大統領の小学校の1年後輩であり、夫人クォン・ヤンスク氏の1年先輩のイ・ジェウ(63)進永農協組合長は「大統領があまりにお疲れのようで去る20日夕方に鶏の丸焼き2匹と焼酎を買って私邸を訪ね子息のコンホ氏も一緒に分け合って食べてきた」として「特別なお言葉はなかったが大統領が時折笑われ、クォン・ヤンスク女史も比較的明るい表情なので少しは安心していたのにこういうことが起こって残念だ」とした。
金海/イ・スユン,パク・チャンシク,チェ・サンウォン記者csw@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/356790.html 訳J.S