ソウル大56代総学生会長に当選したイ・ギョンファン氏
‘朝鮮日報’インタビュー後、フェイスブックに文を上げ
"社会運動に対する悩みの方向を変えた程度…
<朝鮮>はあたかも過去には悪いものに嵌ったが
今は堅実な青年に戻ったかのように書いた"
去る8日、ソウル大第56代総学生会長に当選したイ・ギョンファン(28・物理天文学部05年度入学生)氏は、翌日の9日朝<朝鮮日報>を見て慌てた。 新聞の一面を半分近く占めた本人のインタビュー記事の大きさにも驚いたが、‘記事のタイトル’に一層当惑した。
<朝鮮>はこの日、イ氏とインタビューした内容を "親北左派デモ屋だった私/狂牛病デモの時(2008年)運動圏に懐疑…/その日をもってデモ屋生活から足を洗った" というタイトルで、写真と共に社会面トップ記事(7段)として載せた。 記事は3才の時に事故で右手を失い身体障害3級になったイ氏が‘ソウル大初の障害者総学生会長’になったという点と、かつて民主労働党の学生党員であり民族民主系列の学生運動に参加して止めた経験を集中的に扱った。
イ氏は同じ日の夜、自身のフェイスブックに "既成運動圏に対して持っている私の問題意識が誇張歪曲して欲しくない" として自身の心境を込めた文を書いた。 イ氏はこの文に "私を‘愛国保守反共青年’として作って頂いた<朝鮮>の編集術に感心しました。 (<朝鮮>の)記事だけを見れば、(私が)‘狂牛病の虚偽’扇動にだまされたことに気がついて、反(運動)圏になったと思われるでしょう" と書いた。 イ氏は特に、"私たちの社会を進歩させるために努力された、そして現在も努力しているすべての人々に私は尊敬の念を持っているし、その土台の上に自分がいると考えています。 私はただし、もっと大衆的な方式で、そして具体的な議題設定を持って今日の現実に合う運動をした方が良いと考えています" とも明らかにした。 自身の真意が記事できちんと伝えられなかったという話に読まれる。
イ氏は11日<ハンギョレ>記者と会った席でも「私は社会運動に対する悩みの方向を変えた程度なのに、<朝鮮>の記事はあたかも過去には悪いのに嵌ったが、今は堅実な青年に戻ったかのような感じで書かれた" と話した。 彼は続けて "記事には‘狂牛病デモの時からデモに行くのを止めた’となっているが、2009年の双龍(サンヨン)自動車玉砕ストライキの時までも休まずデモに行っていた」と付け加えた。
イ氏は2008年の狂牛病ろうそく集会に対しては省察の契機になったと述懐した。 彼は 「既存の運動言語で捉えられないものが多かった。人々の政治嫌悪、(理念的)純粋性に対する過度な執着のようなものも問題と感じた。 何よりもその間の社会運動が大衆の具体的な暮らしの問題から離れていたのではないかと悩んだ」と説明した。
<朝鮮>が注目した‘親北左派’という用語も過度に浮き彫りにしていて問題があると話した。 イ氏は「私が親北左派という用語を使ったことは事実だ。 私がもはや北朝鮮に対して友好的ではないし、資本主義体制自体をひっくり返そうと主張したりはしていないという意味で使った。 だが、この烙印性の強い用語を過度に浮き彫りにして‘レッド コンプレックス’を刺激する形で記事が作られたようだ」と話した。 「<朝鮮>とインタビューをして、メディアの特性に合わせて、それなりに脚色されて記事が出るだろうことは予想していたが、ここまでするとは思わなかった。 ‘私を(第二の)イ・ジュンソクに仕立て上げようとしているのか’とまで思った」とも語った。
これに対して<朝鮮>関係者は、<ハンギョレ>との通話で「当該インタビュー記事に問題があれば記者が責任を負う。 事実関係について当事者が問題提起をすれば、それに合わせて対応する。<ハンギョレ>の取材に対して説明する必要はない」と話した。
キム・ヒョシル記者 trans@hani.co.kr