京畿道(キョンギド)抱川(ポチョン)のアフリカ芸術博物館でアフリカ伝統舞踊を踊ってきたアマドゥ(32)は26日、出国を控えた心境を語り苦々しげに笑った。彼はアフリカ芸術博物館の同僚7人と共に故国アフリカ ブルキナファソへ向けて27日夜に発つ。
それでも運が良かった方だ。ホン・ムンジョン セヌリ党事務総長が理事長を務めるアフリカ芸術博物館は、遅まきながらでも未払い賃金と退職金など1300万ウォン余ずつを支払った。 全国民主労働組合総連盟ソウル本部移住労働者労働組合(移住労組)と共に去る10日‘奴隷労働’を告発した結果だ。アマドゥは 「金は受け取ったが傷は癒えない」と話した。 「韓国ではずっと無力感を感じていました。いくら言っても奴隷のように過ごした劣悪な状況は良くなりませんでした。」 カストロ(30)は博物館で過ごした2年間を 「自由を奪われた時間」と表現した。 彼は「友人ともつきあえなかったし、一人で考える自由も享受できなかった。 踊って足腰をケガして痛む日にも休めなくて必死で公演しなければなりませんでした」と話した。
彼らにとって韓国は‘悪い国’だ。 特にホン・ムンジョン理事長を強く恨んだ。アマドゥは 「ホン理事長に会って私たちの現実を話したことがある。何でも解決してあげると言ったが、一日の食費を4000ウォンに1500ウォン引き上げたことが全てだった。 私たちの要求事項を英語で伝達した賢い友人は、1ヶ月後に韓国から追い出された。 故国に戻ったら、韓国には絶対行かないように言う」と話した。 アフリカの伝統楽器ジャンベとドゥンドゥンを演奏するカリム(33)は「博物館の人々に奴隷のような待遇を受け‘韓国の人はみな同じだ’と思った。 皆が実利だけを目指しているように感じられた」と話した。 彼らにとってはこのように‘韓国人’イメージが固まった。
奴隷のような韓国生活の末に、それでもすべての韓国人が悪いわけではないことが分かった。 契約が終わって無一文で去らなければならなかった彼らに、移住労組の活動家が手を差し伸べた。 アマドゥは 「韓国で習った事と言えば‘良い人々と一緒にいれば環境を変えられる’ということ」と話した。
なつかしい故国での新しい暮らしもやはり希望的ではないと話した。 扶養しなければならない大家族がいて、生活条件が容易ではないためだ。 アマドゥは8人の家族を、カストロは9人の暮らしの責任を負わなければならないと話した。 「皆、韓国でお金をたくさん稼いだと思うだろうが、私が体験した話を伝えられるかが悩みです。」 カストロは首をうな垂れた。
議政府(ウィジョンブ)/文・写真 パン・ジュノ記者 whorun@hani.co.kr