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ゆっくり歩こう ソウル城郭一巡り

登録:2009-05-14 16:54

原文入力:2009-05-14午前12:28:00
[マガジンesc] escウォーキング マップ ソウル
都心の最後の生態軸 18.2km
四区間に分けて歩けば最高の散歩コース

イ・ビョンハク記者

←南山Nタワーから国立劇場側につながる南山南側循環路 森の中のソウル城郭.

ソウルは城郭都市だ。精巧に築造された石城で完全に囲まれた都市だった。18.2kmに達する城郭の3分の2ほどが山の連なりや住宅街、ビルディングの森の間に今でもその跡を残している。城郭の一部であった4大門・小門の名前や北漢山と北岳山,北岳山と仁王山を混同する人がなくはない。専門家たちは「ソウルの歴史を知るには城郭に沿って歩いてみなさい」と薦める。ソウル城郭はソウル都心に残った最後の生態軸であり、自然と文化・歴史が共存する昔の道だ。城郭を踏んで歩く間に漢陽の歴史・文化が自ずから目に映る。

←自由総連盟後の眺望所から新羅ホテル後方につながる城郭。比較的完全に過去の様子が残っている。




←草花は城の石垣の隙間でも咲いて散る

ソウル城郭は普段見慣れた風景の中に隠れている。城郭に沿って散策する間に南山道がまた見えて、城北洞もまた見えて、新門路が新たに近づく。石垣の石一つ一つからソウルを再発見する喜びを享受し、健康も手に出来る城郭散歩を楽しんで見よう。美しい森とずば抜けた展望,情緒あふれる路地が迎えてくれる。

ソウル城郭(史跡10号)は1396年(太祖4年)に初めて築造された。当時農閑期の1~2月と8~9月に各49日間城郭を積んだ。北岳山~洛山~南山~仁王山~北岳山をつなぐ5万9500尺(18.2km)の築城工事に全国から約20万人が動員されたという。4大門の崇礼門(南大門)・興仁之門(東大門)・敦義門(西大門)・粛靖門(北門)と4小門の彰義門(北小門)・恵化門(東小門)・光熙門(南小門)・昭義門(西小門)もこの時に完成された。当時、平地には土城を山には石城を築いたが、27年後の世宗の時(1422年)全てを石城に積みなおした。城郭は粛宗の時(1704年)に至って再び大々的に整備される。韓末までほとんど原形を維持したソウル城郭は日帝強制支配期を経て平地側は大部分が撤去され、現在は山地側の10kmほどが残っている。

←洛山公園上部城郭. カップルがたくさん訪れる。






←恵化門付近の城郭は住宅の築台となって久しい。

今も残っている城郭の性石を見れば築造時期が分かる。太祖の時には主に味噌だま(韓国では直方体)形の花崗岩と片麻岩を混ぜて積んだ。世宗の時は城壁下部には大きく長い石材を使った反面、上部は味噌だま形の石を積み隙間に小石をはめ込んだ。粛宗の時のものは正方形の大きな花崗岩(60×60㎝内外)を正しく整えて用いてあり以前の城壁と明確に区分される。

城壁内外を調べれば文字が彫られた石垣(刻字石)がたくさん見つかる。朝鮮時代の ‘工事実名制’ 跡だ。太祖の時、ソウル城郭を初めて積む時、千字文の文字順に工事区間を定めた。全長5万9500尺(約18.2km)を600字(約180m)ずつ97ヶ区間に分け、各郡・県に割り当てた。北岳山頂上で ‘天’ 字から始め洛山・南山・仁王山を経て再び北岳山で ‘弔’ 字で終わる。刻字石には割り当てられた工事区間の開始と終わりの表示、担当した地域名、日付、責任者などが刻まれている。太祖の時の刻字石には区間と地域名,日を主に刻んだが、朝鮮中期以後の刻字石には監督官・責任技術者などの姓名まで明記されている。粛宗以前の築城の刻字は主に城壁外側に、以後の刻字は主に女墻部分の内側に刻まれている。

ソウル城郭を1・2日で見回ることは難しい。緑色連合ノ・サンウン氏は「ソウル城郭の道はなるべくゆっくり歩いて歳月の痕跡を見つけながら歴史文化を学ぶ道」と言いながら「4~5kmずつ四区間に分けて1日に1コースずつ回る日程が望ましい」と薦めた。

←キム・ジョンホが製作した‘首善全圖’ 1820年代初期の漢陽の姿を詳細に描いた都城圖だ。韓国文化財保護財団提供










←地図グラフィック デザイン モッジッ(資料:緑色連合)

ソウル城郭簡単用語辞典
◎女墻|城壁上側に積んだ垣。城胸壁とも呼ぶ。ここに外側を見通す穴をあけ敵を見つけて攻撃した。 上には屋蓋石を覆う。

◎銃眼|女墻に開けた穴をいう。一つの女墻には3ヶの銃眼を開けたが二つは遠く見る遠銃眼,一つは城の下を見回せるように傾斜させて開けた近銃眼だ。

◎雉城|敵を攻撃しやすく城郭の一部を突出させて積んだ部分. 角を立てて積んだものを雉城、丸く積んだものを曲城または曲墻という。

◎甕城|城門前に巡らして積んだ石垣をいう。興仁之門に甕城がある。

◎暗門|城郭に設置された小さな間門. 非公式門で非常口として使われた。

文イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr

写真パク・ミヒャン記者mh@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/354863.html