原文入力:2009-05-06午後07:27:56
チョン・ギョンモ-漢江も流れ多摩川も流れ 3
←東京,マッカーサー司令部で朝鮮戦争を見守った ‘3人の民主化運動家’。左側写真は1952年に共にしたムン・イクファン牧師と筆者、右側は54年頃肺結核療養を終えて司令部に復帰し神学の勉強を始めたパク・ヒョンギュ牧師の姿だ。
今更ながら不思議に思うのは韓国戦争当時、マッカーサー司令部(GHQ)にいたその多くの士官の中で後日に民主化運動の先頭に立つことになる人が3人居るのですが文益換・パク・ヒョンギュ・チョン・ギョンモであり、その3人が揃ってキリスト教徒であったという事実です。お二人は牧師様ですから言うまでもありませんが、私自身もキリスト教の家で育ち、一時は牧師になろうと考えたので今はたとえ日曜日でも聖書・賛美歌を持って礼拝堂には行かないものの、思考の土台はキリスト教的だと言うことができるでしょう。
韓国の民主化運動は米国の人々が勝手に描いた38度線を片付けて、38度線のために起きた戦争で父子兄弟が互いに血で血を洗った悲劇を克服することによって民族共同体を取り戻すという運動ではないでしょうか? だから民主化運動はどうしてもその底辺に敷かれた思想の本質は米国がしてきたことに対する批判になるではありませんか?
ところが米国司令部からドル元金を受けとりPX出入り特権を持ち、当時普通の日本人では考えられもしなかった自家用車を運転するなど、米国のおかげで贅沢な暮らしをしようとすればできたこれら3人が何のために民族運動に飛び込み、結果的に米国に反対して米国が支援した自国独裁政権の迫害を受けることになったのでしょうか?
日帝時代、南北を問わず我が国キリスト教が最も大切にした経典の一つは<旧約>の‘出エジプト記’だったと言えます。‘ファラオ’支配の下で奴隷生活をしたユダヤの民が、モーゼの導きで紅海を渡り40年間荒野を彷徨い、ついに神様が約束された祝福の土地に達することになるというあらすじの説話はキリスト教が提示する解放と救世のアルファとオメガだったと言っても過言ではないでしょう。‘ファラオ’はまさに日本の‘天皇’であったし、紅海におぼれて死ぬエジプト兵士たちは言うまでも泣く日本軍でしたから。
日本が降伏するといういわゆる玉音放送が京城放送局(JODK)を通じて流された1945年8月15日、祖先が家族皆を呼んで座らせ涙を流して解放に感謝する一方、神様の意により日本を打ち破った米国に永遠に祝福をおろして下さいと祈祷された姿が今も鮮やかに目に浮かびますね。
私が留学したエメリー大学はジョージア州,アトランタにありましたが、毎日読んでいた<アトランタ コンスティテュション>という新聞にしょっちゅう出てくるウォーカーという軍人の文を読んで、怒りを押さえることができませんでした。その時がおそらく、ぽつりぽつりと韓日会談が開かれていた時だったと思いますが、そのウォーカーは無条件に日本を持ち上げ韓国を無慈悲に引き降ろしました。日本はくやしくも韓国の土地に莫大な財産を残してきたのに、韓国が日本に請求権を要求するというのは厚かましく破廉恥な行為という類の話です。
当時私は率直に言って政治問題にはこれと言った関心が無かった時期なのでウォーカーに対して別段記憶もありませんでしたが、司令部にきてびっくりするしかありませんでした。その人がまさにその時韓国で戦闘を行った第8軍司令官ゼネラル ウォーカー、その人ではありませんか?
日本にきてだんだん政治問題にも目を開くことになり、英語・日本語関係なく新聞・雑誌など多様な資料に接することになることによって本当に驚かざるを得ませんでしたよ。日本政府が意図的に広めている反韓・反朝鮮政策を強力に後押ししているのがまさにマッカーサー司令部だったということですね。
当時、日本総理吉田茂が ‘チョウセンジン’ を危なっかしい犯罪予備集団に押しやり私たち民族に降り注ぐ差別と蔑視は真に目を開いて見ていられない状態でした。終戦後 ‘占領地救済基金’(GARIOA)等を通じて援助食糧が到着し始めるや、吉田は ‘この貴重な食糧をチョウセンジンらには食べさせることができないので南でも北でもひとりも残さず日本の土地から追放してくれ’ という交渉を行ったが、その交渉相手はもちろんマッカーサー司令部だったんですよ。日本が降伏してわずか5年後に朝鮮戦争が勃発した時、吉田は ‘これこそ神佑天助ではないか’ と感嘆の声を上げたとのことですね?
←チョン・ギョンモ在日統一運動街その後、韓国戦争の起源を深く掘り下げて行き感じたことは、米国が6・25を何の準備もなしに無防備状態で迎えたというのは全く嘘だという事実ですね。米国や日本は朝鮮戦争は避けられないことと見て着々準備に余念がなかったことなのに、さっき話したゼネラル ウォーカーの寄稿にしても、迫りつつある戦争に備えて日本政府と駐日米8軍が手を握って共同で推進した言論広報だったと見ないわけにはいきませんよ。
米8軍司令官ウォーカー将軍は6・25で命を失ったが、私がソウルにいる時、イテウォン通りにウォーカー銅像が立っていました。愛国心に燃える韓国人たちが建てたようだが、それを見る度に真に呆れ返るという気がしてため息をつかないわけにはいきませんでしたね。
チョン・ギョンモ在日統一運動街
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/353505.html 訳J.S