原文入力:2009-04-03午後07:51:35
←キム・ジョンチョル<緑色評論>発行人
以前5・16クーデター直後、‘国家再建最高会議’時期だった。その時、私たちは高等学校1学年であったが、初夏の深刻な日照りで苦労する農民たちを助けるために近隣農村に行列を作って歩いていっていた。行列おは言っても、思春期の少年である上に各々バケツなどを持っていたので、乱れた隊列にならざるをえなかった。そんなふうに市内を通過し郊外に出て行く頃、突然軍用ジープが行列を遮り、黒い眼鏡をかけぼってりした陸軍将校がそこでおりた。彼は私たちを引率してきた先生を手ぶりで呼びつけ、いきなり怒鳴りつけ持っていた指揮棒で先生の胸倉に押し付け、むやみに殴るではないか。私たちは凍りついたようにその場に身動きもせず立ってその光景を見ていたし、先生は突然のこの暴力の前に白く真っ青になった顔だった。
後ほど分かったことだが、将校は当時地域管轄最高指揮官であり、彼が私たちの先生を殴った理由は学生たちの行列が無秩序だったためだったということだ。定規で測ったような兵士たちの行軍の姿になじんだ目には、私たちの支離滅裂な行列が耐え難かったかもしれない。しかし、その将校はその日生徒たちの見る前で、その生徒らの先生を殴打することによって、まだ分別がなかった思春期の少年の心に忘れることはできない傷痕を残した。何よりつらい記憶は、私たちがいつも尊敬して従った先生がこの野蛮な暴力の前に対応無策に露出し、ついに一言の抗弁もできない屈従的な姿だった。
その日そのような侮辱にあった先生はもちろんひとりの善良な、しかし無力な市民だった。問題はそういう市民が教師として、あるいは一人の人間として持っている自負心が間違いなくこわれてしまったという点だ。クーデターを起こした軍人らが掲げた名分は、国を正しく立て直すということだった。彼らは教師たちの人格と自負心を無惨にぶち壊しても国の教育が正しく立つと思ったのかもしれない。しかし、その日その暴行場面は永らく私の脳裏に刻印され、少なくとも私には軍事政権と言えば直ちにとても無教養,野蛮という単語が浮び上がることになる出発点になっただけだ。
実際にその後30年に及んだ軍事政権は、主体的な人格と判断能力を持った民主市民の教育には何の関心もなかった。彼らが願ったことは命令にはいはいと従順に従う、そうして兵力と労働力として軍隊と産業戦線で黙黙と服務できる‘奴隷’の量産システムだった。
そういう軍事政権による統治が終わり、‘民主化’が実現され20年が過ぎた今、再び私たちは以前の悪夢がよみがえる場面にずっと立ちあっている。
政府が再び良くない話題が多い一斉試験を強行することに決め、数日後に控えていた先週末、私はある女性教師に道で偶然に会った。彼女は今回の一斉試験に反対する教師たちの名簿公開に自身も参加するか悩んでいるのだが私の助言を聞きたいということだった。彼女の憔悴し緊張した顔は、その間どれほど悩みが深かったかを語っていた。この政権の振舞いから見て、恐らく解任までも覚悟しなければならないことに加担するというのが容易なことだろうか。しかし、このことは良心的な教師だからこそ直面する試練であることが明らかだ。
今この国の権力は、国民を奴隷や家畜として見る、嘗ての軍事政権時代の教育観から一寸も抜け出せない時代錯誤的で愚かな行動を繰り返している。この状況で、少しでも人間らしい自尊心を持った人々は限りないストレスと憂鬱の中に過ごしている。良心的な一人のか弱い女性教師が眠れずに悶えなければならないこの闇がいつ晴れるだろうか。
キム・ジョンチョル<緑色評論>発行人
原文:https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/347910.html 訳J.S