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"遺体で帰ってきた夫、背中が全て真っ黒に焼かれていた"

登録:2012-09-13 07:36

原文入力:2012/09/12 20:31(2137字)

インタビュー/人民革命党 死刑 イ・スビョン氏夫人 イ・ジョンスク氏

夫の遺体 拷問の痕跡歴然
手足の爪は全て無く
かかとは真っ黒で凹んでいた
"当局が火葬して灰にしてしまった
他の被害者を思えば
それでも幸いだと考えた"

拘束後から夫の顔を見れず
刑務官の助けで少し離れた場所から暫し
2歳にならない娘を抱き上げて見せ
一言も言えなかった、刑務官に迷惑がかかるかと思い
"あんなに早く殺すと分かっていれば
何の話でもしたろうに…"

朴正熙が私の夫を殺し
朴槿恵は私たちの子供たちを殺そうとするようで…
自分の父親のためにここまでになったが
自分の父親のために決して大統領にはなれないでしょう"

  ‘チョンウのお父さん、私たちの子供の顔ちょっと見て、顔。こんなに大きくなりました。 顔ちょっと見て。’

  2歳にならない幼い娘を背に負った28才の若い妻は心の中だけで繰り返し言った。 1975年4月1日ソウル、西大門区(ソデムング)、ソウル拘置所の中庭。 遠くに夫の姿が見えると妻は背を向けて必死に娘の顔を見せた。 1年ぶりにみた夫だが、声を出して話しかけることはできなかった。 「夫に会わせたことが知られれば私の首が飛ぶ」と言って、刑務官は夫に気づいたフリも、話しかけることもやめてくれと頼みこんだ。

  心の中だけで叫んだ妻の声が聞こえたのだろうか。 「ずいぶん大きくなったね。 本当に大きくなったね。」 囚人服を着て縄で縛られて弁護人接見室に連れて来られた夫が言った。 それが最後だった。 その大きな声は妻が聞いた夫の最後の肉声になった。 夫イ・スビョン(当時38才)氏はそれから一週間後の4月8日、最高裁で死刑が確定し、翌日の9日明け方に刑場に引きずられて行き亡くなった。

  "そんなに早く殺すとわかっていたら、その時に抱きついて何でも話しただろうに…。」とイ・スビョン氏の妻イ・ジョンスク(65)氏は12日<ハンギョレ>と会って35年間の積もった恨を吐き出した。

  生前の夫は統一運動家であった。 1961年5・16クーデター直前、ソウルで開かれた統一促進決起大会に参加して「行こう北へ。来たれ南へ。 会おう板門店(パンムンジョム)で」という有名な演説もした。 彼を邪魔者と感じた朴正熙政権は維新体制樹立以後‘人民革命党再建委’事件をでっち上げイ氏をはじめとする8人を死刑に処した。

  事件関連者を拘束した直後から1審・2審・最高裁判決が下されて死刑が執行されるまで、維新政権はただの一度も家族面会も許さなかった。 情け深い刑務官のおかげでただイ氏だけが収監中の夫の顔を少しの間ではあるが見た。 死刑になった他の7人の遺族はそのような天運さえ享受できなかった。

  「1審・2審法廷でも後ろ姿しか見られませんでした。お父さんの脇に憲兵がいて振り返ることもできないようにしました。」 還暦を越えた妻イ氏にとって死んだ夫とその同僚は依然として‘お父さん’だ。

  死刑は夜明けに執行されたが、死体は午後6時を過ぎて引き渡された。 亡くなった方の体には拷問の痕跡が歴然だった。 「背中が全て真っ黒に焼かれていました。 手の爪10個、足の爪10個はまったくありませんでした。 かかとは何をされたのか真っ黒に凹んでいました。」その日を回顧した妻イ氏は「当局が死体を火葬して灰にしてしまった他の被害者を思えばそれでも幸いだと考えた」として歯ぎしりをした。

  以後35年が過ぎるまで毎年4月9日になれば、イ氏は慶南(キョンナム)、宜寧(ウリョン)にある夫の墓の前で大声で泣いた。「朴正熙殺人鬼、私の夫を返せ」と山深い墓の前では大声をあげた若い妻はそのようにして歳月を耐えた。

  「何の意味もありません。」イ氏は去る2007年1月ソウル中央地裁が人民革命党再建委事件関連死刑囚8人に無罪宣告を下したことについて淡々と話した。 「生き返らせなければね。 死んだ人を生かすこともできない判決に何の意味がありますか。」

  彼女にとって‘朴正熙’と‘朴槿恵’は同じ名前だ。 「テレビに(朴正熙や朴槿恵が)出てくればすぐに消してしまいました。 しばらくテレビに出てこない時期は良かったけれど、この頃はテレビもほとんど見られません。」いつからか朴槿恵セヌリ党大統領候補が毎日ニュースに登場するようになった。 最近では人民革命党再建委事件に関しても発言した。

  その発言に対する心境を聞くと、イ氏は思わず泣きだしてしまった。 「ああ、朴正熙が私の夫を殺し、朴槿恵は私たちの子供たちを殺そうとしているようです。」 手に持ったティッシュで涙を拭ったイ氏は精一杯の力を込めて一言付け加えた。 「朴槿恵は自分の父親のためにここまでなったが、自分の父親のために決して大統領にはなれないでしょう。」 チン・ミョンソン記者 torani@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/551407.html 訳J.S