原文入力:2012/08/07 20:35(2391字)
←日帝が無条件降伏を宣言した翌日の1945年8月16日、ソウル市民がソウルの西大門(ソデムン)刑務所に集まり出獄する独立闘士を迎えて一緒に万歳を叫んでいる。 <ハンギョレ>資料写真
ホ・スヨル教授、植民地近代化論を批判
1910~2010年の経済指標分析
1人当りGDP・実質賃金が増加した60年代以降 急成長
「植民地的経済構造をなくした解放が近代的経済成長の前提条件になる」
いわゆる「植民地近代化論」を主張する学者は植民地時代に日帝の収奪がなかったわけではないが、経済成長がなされたこと自体は否定できない事実だと主張してきた。 1910~1940年に国内総生産(GDP)等の経済指標が1910年以前に比べて急増した事実は、このような主張の実証的根拠として活用されてきた。 ここに、他の社会部門と違い“経済部門”は解放前後で連続性があったという前提条件を受け入れれば、韓国の近代的経済成長の根は植民地時代に求めることができるという植民地近代化論の論理的構造が成立する。
実証的研究で植民地近代化論を批判してきたホ・スヨル忠南(チュンナム)大教授が、このような論理構造を正面から反駁して出た。 ホ教授は7日、独立記念館韓国独立運動史研究所が開いた光復節記念学術シンポジウムで「1945年解放と大韓民国の経済発展」という題の論文を発表した。 彼はこの論文で植民地近代化論者が言うように日帝強制占領期間に“近代的経済成長”がなされたとは見難く、韓国経済の今日を作り上げた最も大きな要因はむしろ植民地近代化論者が「経済部門の連続性」を言って等閑視してきた政治的変化、すなわち“解放”にあるという事実を強調する。
特にホ教授はこれまで日帝強制占領期間、産業化時代などのように分離的に扱われていた経済指標の分析対象時期を1910年から2010年までの100年間に拡大し、そこに経済発展を分析する色々な枠組みを適用した。 日帝強制占領期間だけでなくその前後の時代を同時に考察して、もう少し通時的な経済発展の変化の推移を確かめてみるという趣旨だ。 経済指標分析という研究の性格自体は既存と大きく異なるところはないが、韓国近現代史全体をその対象とした点で違いがある。
ノーベル経済学賞受賞者である米国の経済学者サイモン・クズネッツは、少なくとも30~40年間人口が持続的に増え、同時に1人当り生産が増加する時「近代的経済成長」が存在するという理論を出したことがある。 1910~2010年の韓国で人口増加と1人当り国内総生産が共に持続的に増加したのは60年代中葉以降であり、クズネッツの理論によればこの時期に入って初めて近代的経済成長が存在したと見ることができるという。 英国の開発経済学者アーサー・ルイスは農業から工業に労働供給が十分に移り、農業部門で過剰労働が消えて都市の実質賃金が急激に上昇する「ルイス転換点」を提示したことがある。 1910~2005年の実質賃金、農業人口と製造業就業者数、都市化率などの統計を共に比べてみれば、韓国でのルイス転換点は1960年代中葉に現れた。 1次産業の比重の減少を経済発展尺度で見たクラークの産業構造、重工業の比重で経済成長を分析したホフマンの工業構造、エンゲル係数などの指標もやはり1960年代前後に急激な変化を見せるという。
60年代を前後してこのような急激な変化が可能だった理由は何か? ホ教授は「解放と共に“植民地的経済構造”が消えたため」と指摘する。 植民地的経済構造とは、少数の日本人が生産手段である耕地、人的物的資本の大部分を占めている構造をいう。 このような構造の下で朝鮮人は、生産手段の所有から次第に排除されて小作農や賃金労働者に転換され、民族差別・学歴差別による植民地的雇用構造のために賃金労働者の中でも最低辺を形成するのにとどまった。
解放はこのような構造をひっくり返した画期的なことだった。 解放と共に教育は爆発的に量的膨張を遂げたし、農地改革は日帝強制占領期に資本主義的外形の下でかえって拡大強化された前近代的小作制度を一掃して農業革命を可能にしたということだ。 このような画期的変化はその後工業革命の土台となることができたという。 このような分析によれば日帝強制占領期間になされた変化は“湯飲み茶碗の中の台風”に過ぎず、「朝鮮が日帝の支配から抜け出して政治的独立を成し遂げたことが、すべての変化の前提条件」だったと彼は話す。
何よりもホ教授は「近代へと移行していく過程には外来的内在的要因など様々な条件が網のようになっている」と強調する。 例えば前近代社会で蓄積された力量が外来的要因を積極的に受け入れたり活用する基盤になる可能性があり、近代への移行過程をどれか一つの要因だけで説明することは難しいということ。 植民地近代化論の場合、外来的要因だけに過度に意味を付与し植民地的経済構造に目を向けないという誤謬を犯したという指摘だ。
結局、経済発展の要因を説明するためには一つの決定的要因に固執するのでなく、経済構造をより一層きめこまかく観察しなければならないという問題提起だ。 彼は「ある政権の“リーダーシップ”等で経済発展を説明するのは、あたかも政権によりオリンピックの金メダルが左右されると見ることと同じ詭弁」として「底辺に敷かれていた力が上に上がってくる中で何を成し遂げたかを見なければならない」と指摘した。
チェ・ウォンヒョン記者circle@hani.co.kr
原文:
https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/546151.html 訳A.K