本文に移動

"ニコン、取消し理由も説明せず"

登録:2012-05-26 07:20

原文入力:2012/05/24 21:47(1897字)

←来る6月26日から7月9日まで日本、東京、新宿のニコンサロン展示場で開かれる予定だった在日写真家アン・ジェホン氏の‘慰安婦ハルモニ写真展’葉書. アン・セホン氏提供

"1991年からハルモニたちを撮り
大阪展示も合意していたのに
あきれたとしか言いようがない
私は予定通りに展示準備を続ける"
ニコン社は "開催に対する抗議があった

←在日写真家アン・セホン氏‘慰安婦ハルモニ東京写真展’を取消されたアン・セホン氏

"あきれたといか言いようがありません。私は予定通りに展示準備を続けます。"

 去る22日ニコンサロン側から6月26日~7月9日東京、新宿展示場で開くことになっていた‘慰安婦ハルモニ写真展’電撃取り消し(<ハンギョレ> 24日付1面)するという連絡を受けたアン・セホン(41・写真)氏は24日<ハンギョレ>との電話通話で「今もまったく納得が行かない」と話した。 日本国内の右翼集団が写真展に否定的な動きを示す可能性があるということを全く予想できなかったわけではなかった。 しかしこのようにニコンサロン側が展示会自体を突然取り消すとは全く思わなかったという。

 アン氏がニコンサロン側に展示会審査を要請したのは昨年12月。ニコンサロンが審査会を開き展示を確定したのは去る1月24日だった。 以後4ヶ月間の進行は順調だった。 彼は去る19日に名古屋市で写真講演会を催すなど積極的な広報に乗り出したところだった。 この日<朝日新聞>地方版に関連記事が大きく載りもした。 ニコンサロンの大阪展示場側からも展示会を開こうという提案があり9月13日から20日まで開く事にちょうど合意までしたところだった。

←イ・スダン ハルモニが1970年代に北韓、平安道(ピョンアンド)、粛川郡(スクチョングン)に住んでいる家族と初めて連絡がついた後、受け取った家族写真(上)。パク・テイム ハルモニが中国文化革命の時に受け取った身分証明書を持って見せている。(中)パク・ソウン ハルモニが下血で倒れた後、隣人たちが訪ねてきて世話をしている。(下) アン・セホン氏提供

 

アン氏が今回展示することにしていた写真は旧日本軍に引きずられて行き、戦争が終わった後に中国に残された慰安婦ハルモニの姿を撮ったもので計38枚だ。 彼は1991年から慰安婦ハルモニの写真を撮ってきて、特に2001年から2005年までに7回中国を訪問して中国に残った慰安婦ハルモニの姿をカメラに収めた。 日本で慰安婦ハルモニ写真展示会を開くのは今回が初めてだ。 ハルモニの幾重にも刻まれた皺と恨を象徴して展示会の名前を‘重重-中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち’と付けた。

 "22日と23日に担当者が展示会を開けないと電話をしてきました。 謝罪しに来ると言ったが、展示会を取り消した理由は説明せずにただ謝罪だけすると言うので二度と来ないでくれと言いました。"

 カメラ会社であるニコンは東京の新宿と銀座、大阪などに5ヶ所のニコンサロン展示場を用意して、写真家に展示空間を提供するなど写真芸術を支援してきた。 アン氏は「何か圧力があったにせよ、これほどあきれるやり方で表現の自由を握りつぶすならば、ニコンが写真界をリードすることはできないと思う」と批判した。 アン氏はニコンサロン側が文書を通じて展示会取り消し理由を具体的に説明するまでは展示会開催準備を継続すると語った。

 ニコンサロン側はなぜ展示会を取り消したのか、具体的な理由を説明していない。 ニコンサロン広報担当者は24日<ハンギョレ>の質問に「色々な抗議があったことは事実だが、展示会を取り消したのは諸般事情を総合的に考慮して決めたこと」と答えた。インターネットでは去る21日から右翼色彩が濃厚な‘2チャネル’掲示板にニコンサロンのアン・セホン氏写真展開催を批判しニコン カメラ不買運動を行おうなどの内容が書かれた文が大きく上がってきた。 このような動きがニコンの決定に影響を与えたことは確実と見える。

 写真展が突然取り消しになったことと関連して、日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)は表現の自由を侵害したものと見て、共同対処することにしたとアン氏は伝えた。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/534478.html 訳J.S