原文入力:2012/03/20 23:48(1751字)
←イ・ヨンホ前大統領府雇用労使秘書官が20日午後、ソウル、太平路(テピョンノ)の韓国言論会館で開かれた記者会見場でチャン・ジンス前国務総理室公職倫理支援官室主務官の主張に反論する記者会見をしている。 キム・ジョンヒョ記者 hyopd@hani.co.kr
会見場スケッチ
汎浦項出身で政界入城
業務引継ぎ委員会当時からパク・ヨンジュンと活動
‘民間人不法査察’と証拠隠滅の1次指揮者と名指しされたイ・ヨンホ前大統領府雇用労使秘書官は20日午後5時30分頃、ソウル、太平路のプレスセンター記者会見場で取材陣60人余りと会った。会見を自ら要望した彼は、自身がコンピュータ ハードディスクの削除を指示した‘胴元’としつつも、終始一貫「使命感を持って国家発展のために最善を尽くした」と声を高めた。
イ前秘書官は記者会見場に現れるとカメラの動きを見回した。 左右に立ち並んだ各報道機関のカメラ全てに視線を合わせた後、彼は準備した原稿を読んで降りて行った。 初めは謝罪をするかのようだった。「国民に心配をかけて申し訳ない」としてカメラの前に出て腰を曲げてお辞儀も下。だが、その後からは長い弁解が続いた。自身がチャン・ジンス前主務官に金銭を渡したとは言えそれは‘善意’と主張し、公職倫理支援官室コンピュータのハードディスクを破棄しろと指示したのも‘敏感な個人情報と監察内容を保護するために’だったとした。 ‘民間人不法査察’の被害者であるキム・ジョンイク前KBハンマウム代表に対しても謝る代わりに「横領疑惑などで起訴されており裁判が進行中」とし、とんでもない粗捜しを試みた。
彼は原稿の中で強調したい内容を三,四回怒鳴るように繰り返し叫んだ。「公職倫理支援官室職員が世論の袋叩きにされて苦しんでいる」、「(私は)どんな困難も躊躇せず使命感を持って国家発展のために最善を尽くしました」と話す時は目に勢いが漲っていた。また「私は貧しい漁村で生まれ苦労しながら勉強をして常に正直に信義を守った」と話す時は、感情に勝てず涙声で話しもした。これを見守った一部取材陣の間から 「ショーはやめなさい」という大声が出たのもこの頃だ。
このような姿はイ前秘書官の‘経歴’と関係がなくはない。イ前秘書官は金融圏労働運動家の出身だ。平和銀行労組(韓国労総所属)委員長と全国金融産業労組組織本部長として活動した。 その当時の彼の姿を記憶するある人は「会議中に激しい反応を示したり、誇張されたパフォーマンスをすることがたびたびあった」と話した。
イ前秘書官が政界と縁を結んだのは2006年に遡る。彼は当時ハンナラ党労働委員会金融産業委員を引き受け政界に足を踏み入れた。 2007年大統領選挙当時、ハンナラ党選対委労働総括団長を引き受け韓国労総との政策連帯成功を導いた。しかし彼が‘秘密ライン’として浮上したのは‘汎浦項(ポハン)’出身という点が作用したということが一般的な見解だ。 イ・インギュ(56)前公職倫理支援官、今回の事件の背後と名指しされているパク・ヨンジュン(52)前国務総理室国務次長らは全て汎浦項(ポハン)人脈だ。 特にイ前秘書官とパク前次長はいろいろな所で履歴が重なっている。 業務引継ぎ委員会時期に二人はそれぞれ社会教育文化分科実務委員と李明博当選者秘書室総括チーム長を務め、その後大統領府には雇用労働秘書官と企画調整秘書官として同時に入城した。
この日15分余りにかけて激昂した発言を吐き出した彼は取材陣の質問に応じずに直ちに記者会見場を抜け出た。 一問一答を期待した数十人の記者たちがイ前秘書官を囲んで追ったために会見場入口は修羅場になった。 エレベーターを押さえて5分余り質問を浴びせる取材陣に対して彼は「私も労働運動をした人間です」という言葉だけを繰り返した。
ノ・ヒョンウン、アン・チャンヒョン記者 goloke@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/524437.html 訳J.S