原文入力:2012.03.06 23:26(1904字)
←1年前、地震津波が襲いすべてをさらって行ったところに白い雪が降った。 先月27日、日本宮城県名取市日和山神社に、3・11東日本大地震犠牲者追悼碑がまだ整備されていない荒涼たる野原を背にして寂しく立っている。 名取/キム・ミョンジン記者 littleprince@hani.co.kr
日当14万ウォンの非正規職
被爆基準越えれば作業場を替える
発病しても責任所在をあいまいに
「慣れてきたかなと思っても、測定器から鳴る警告音を聞くとまた恐ろしくなります」 去る2日、日本福島県いわき市で会った30代くらいの原発労働者はこう口を開いた。 彼は市内のホテルに泊まり、会社が提供するバスで第1原発に出退勤しながら残骸除去作業に参加している。 彼が原発で仕事を始めたのは二ヵ月前だった。 誰が見ても危険な現場で働いているのだが、彼が受け取る日当は1万円(約14万ウォン)で多くはない。 彼は「3・11大地震で宮城県にあった会社が廃業した。仕事場を見つけられるのは原発しかなかった」と話した。 家族は彼が福島原発で働いていることをまだ知らない。
原発労働者問題の専門家である渡辺博之いわき市議員(日本共産党)の紹介で<ハンギョレ>との電話インタビューに応じた別の原発労働者は「あちこち歩き回って原発だけですでに10年間働いている」と言った。 彼は福島原発事故避難区域である大熊町生まれで、高校を卒業するなり当然のように原発労働者になった。そんな彼も放射能は恐ろしいと話す。
「福島第1原発では放射線量が時間当り数百ミリシーベルトに達する所もあります。 仕事をすると言ってやって来たけれども現場に接近できなくて怖くなって帰る人もいるし、30代なのに数ヶ月で頭が白くなってしまった人もいますよ」
原発のベテランである彼が受け取る日当も1万円だ。 原発事故前の金額と全く同じだ。東京電力が策定している労働者の日当は5万円を越えるが、多くは5~6段階の下請け・孫請けを経て6500~1万2000円まで下がる。 原発で働く労働者の80%以上が下請け業者や派遣専門業者に所属する非正規職だ。 こうした比率は原発事故以前も以後も別に変わらない。 非正規職に依存して稼動される原発産業の現住所だ。 彼は「原発事故初期の数ヶ月間、人員不足の時は一日2万円ずつ危険手当をもらったが、今は危険手当をもらっている労働者は殆どいない」と話した。
昨年4月から約4ヶ月間福島第1原発で働いた彼は、今は第2原発に移って働いている。 被爆量のためにそうせざるをえなかった。 福島原発事故収拾過程で許容された最大被爆量は250ミリシーベルトだ。 他の原発でも仕事を続けるには「5年間で100ミリシーベルト、1年に50ミリシーベルト以上の被爆」をしてはならない。 渡辺市会議員は「調べてみると福島第1原発では累積被爆量が20~40ミリシーベルトである非熟練労働者を他所に移らせている」と説明した。 労働者をこのように移動させるのには、後日癌などの病気が発生しても責任所在をはっきりさせにくくしようという計算のためだと解釈される。
福島第1原発では最近、電気、配管、建築・残骸除去の大きく分けて三つの分野で一日3000人を超える人が働いている。 溶け落ちた核燃料を原子炉から取り出して事故を完全収拾するまでには今後十年以上かかる見通しだ。 原発はその時まで“短期使い捨ての”低線量被爆者を数万人さらに量産することになっている。
東京電力は福島第1原発の労働者の中で事故収拾過程で100ミリシーベルト以上被爆した人はこれまでに167人だと明らかにした。 しかし低線量被爆の実態は正確に知らされていない。 労働者は「作業過程で得たいかなる情報に対しても機密を維持し、報道機関の取材には一切応じない」という内容の雇用契約書に署名した。 何一つ自由に話せない境遇だ。
1986年のチェルノブイリ原発事故時には合計60~80万人が事故処理に動員された。 ロシア リャザン州から事故初期段階に動員された作業員856人は被爆量が平均203ミリシーベルトだったが、そのうち6.4%にあたる55人が1993年までに死亡したという記録がある。
いわき/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr
原文:
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/522249.html 訳A.K