原文入力:2012/02/20 21:23(3082字)
遂行評価時間 万年ビリに配慮したとたん、教室が修羅場に
ファン・ジュファン教師・<とても些細なことを待つ時間>著者
成績圧迫に耐えかねて母親を殺害した高校生、友人を死に追い込んだ中学生などで教育を糾弾する声があふれている。 これ以上、診断と処方を付け加えるものがあるかと思えるほど多くの分析と対策があふれている。
ところでこのみじめな幾つかの事件は我が社会の教育病症の一部に過ぎない。 事件化されてはいないが学校はそれよりさらに広範囲で深刻な状態だ。 すでに数多くの子供たちが自殺してきたし、すべての子供たちが競争教育と抑圧的な学校文化に呻吟している。 今すぐ私やあなたの平凡な子供の皆が病気にかかったとしても決して不思議でない。毎日学校で生活している私はその方がはるかに深刻だと考える。
遂行評価時間に、学習障害があっていつも全校ビリである子供に配慮しようとした。 ところが生徒たちは鋭い叫びと指差しで私を叱責した。‘なぜその子だけを特別待遇するのか’として、教師に浴びせるヤジで教室は一瞬の内に修羅場と化した。 子供たちの嘲弄とネチネチした目つきを私はあまりにも鮮明に記憶している。 ぞっとする経験だった。 自分たちとは競争にさえならない障害級友に対して生の感情をそのまま示した彼らは、特別な子供たちではなかった。‘平凡な’子供たちだった。
これよりひどい当惑が日常的に起きる所が今日の学校だ。 級友間のささいなことにも非難、悪口、憎悪、排除、集団加害が日常化し、互いに引っかきあう鋭い感情が誰彼かまわず子供たちの底辺にねばねばと焦げ付いている。ところで彼らも特別な子供たちではない。
年に4回の定期試験、科目ごとに行えば20回にもなる遂行評価、そして各種一斉試験、その一斉試験に備える学校別試験まで、一年中ずっと試験に包囲された子供たち。 注入式暗記と席次だけが自分の価値として評価される学校で、‘君は他人の苦痛をどう思うのか’という問いに何の意味があるのか。 大慨の大人たちは‘自分もそんな学校に通った’として、それを青少年期の成長痛として片付けたりする。 しかし断言するが、今日の学校は以前とは比較できないほどはるかに残酷だ。信じられないならもう一度通ってみなさい。 学校は地獄だ。
ところで学校の野蛮を誰よりもよく知っている私も、娘を学校に行かせている。 感情が豊かで繊細な娘が中学生になると、すぐに試験に巻き込まれて‘イラツク’という言葉を頻繁に使いながら暮らしている。 子供が干からびていくことを惜しみながらも、この地獄のようなバスから降ろせないのは恐怖のためだ。 狂ったように疾走するバスから子供を取り出せないのは‘学校の外の社会はさらに地獄’であるためだ。
今日の学校は以前とは比較できないほどはるかに残酷
信じられなければもう一度通ってみなさい
資本と権力の暴力が日常化された韓国社会。 学校の競争での落伍がまもなく社会的落伍になるという恐怖のために、大衆は出口なき競争教育に命を賭けている。 だから学校は暴力社会のサバイバルゲームだ。 すなわち人間扱いを受けられない非正規労働者にならないために、周りの友人を踏み越えて序列を定める所ではないのか? 一時勉強できなければ一生の生存まで脅かされるため、何としても前の席を占めなければならなくて、そのように背中を強く押す母親を子供は凶器で刺したし、また昼夜勉強しても結局は後ろの席に投げ飛ばされた子供たちは、自分より力が弱い級友を再びその下へ投げてしまったということではないか? これが今の韓国社会の姿と何が違うかと、私は問う。
日常化した社会暴力が学校にまで押し寄せてきただけだ。 それでも韓国社会のその差別と暴力には関心を持たず、ひたすら学校暴力だけに怒る‘あなた’こそが偽善であり無知であると私は言ってはばからない。
かなり以前、寒い冬にも暖房灯油を適時に配らない学校の不合理を指摘したことがあった。 校長は灯油の節約を教育だとして訓示したが私はなぜ毎年寒さに震えなければならないのかが気になった。 学校予算書を探して確認してみると暖房費は充分にあった。 ところが誰も学校予算を問題にはせず子供たちに灯油の節約だけを話し、それが教育だと感じていた。 私がこのエピソードを文に書いたのは、関心を持たなかったのはまさに我ら自らだということ、そしてその感心を持たないことこそがまさに暴力だということを言いたかったからだ。 苦痛の背後を見つめないことこそが暴力の始まりだと。
教育はいつも政治の領域だ
だから総選挙と大統領選挙がある年に
再び力を得ようと思う
このエピソードに接した人々は予想したとおりに教師たちの欺瞞を詰問した。 韓国社会で教育問題は誰でも批判しやすいから! ところで今日は教師である私が‘あなた’に一度訊ねたい。 学校暴力をそのように批判するあなたが、双龍(サンヨン)自動車や韓進重工業が‘勉強できないクズ’に加えた暴力に対してはどう思うのかということだ。 世襲王朝のように企業を私有化した財閥が勉強のできた判検事クラスメートらと結託して、私たちのまわりにいる同僚を残忍にいじめさせているのに、あなたは何故そのような金権の暴力には関心を持たず、ひたすら子供たちの暴力に対してのみ怒るのかを尋ねる。
地獄のような学校を脱出してしまい、ただ普通の労働者として生きていきたいが、労働組合という言葉にも生の敵対感を表わす‘あなた’たちではないのか? ‘一時勉強できなかった’という理由だけで一生を低賃金奴婢として生きていかなければならない地獄のような社会を当然と思うあなたが、まさにあなたが地獄のような学校を招いたのではないかということだ。
もう一度言おう。競争に追いやられたすべての子供たちがみじめな非行を犯すわけではない。だから‘全ては自分次第’としてこの事態を覆い隠すこともできるだろう。 社会の構造的暴力にはひたすらそっぽを向いて、個人の努力だけを要求するのは常にあった欺瞞だから。 それなら、その十分にあった暖房予算については尋ねることもせず、灯油の節約だけを教育として前に掲げる私たち教師たちと同じようにあなたも欺瞞的であったと、私は単にあなたにそのような欺瞞と偽善で教育解決法を云々するなと言うのだ。
もはや学校問題は学校内では解決できないということで、教師である私は力が抜けている。 学校暴力を解決するために直ちに相談教師を拡充し、競争教育の核である一斉試験を廃止しなければならない。 さらに(国立)大学無償教育と平準化で教育の公共性を確保して入試競争を緩和しなければならない。
ところでそれだけではだめだ。‘学校外の地獄’をどうにかしなければならない。‘一時の席次’より‘社会的労働’が優遇される社会にならなければならない。 すなわち労働賃金が公正な社会を抜きにしたいかなる教育改革も成功できない。 これは政治的選択だ。 各種の社会的差別を解消することがなぜ教育問題と関連するのか、有権者は深く考えなければならない。 教育はいつも政治の領域だ。 それで総選挙と大統領選挙がある年に、再び力を得ようと思う。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/because/519931.html 訳J.S