原文入力:2012/01/09 22:13(2278字)
日本人がキム・ヨナを見る時に思い出されるその少女
←クァク・ビョンチャン論説委員
わざわざその前を通り過ぎたりもしたが正面から向き合えなかった。目の前は車両通行が頻繁な道路であるのに加え、向い側には警察が通行を制限する駐韓日本大使館であるために余計な疑いをかけられるのが嫌だった。 その少女の視線が気になったりもしたが、それで当て推量で満足した。 あえて行ってみてこそ分かる、彼らの口のようにその視線は堅く閉じられた鉄門に向かっているのだろう…。
1004回目の水曜デモを控えて勇気を奮い起こした。 向い側に渡っていくとすぐに戦闘警察の警戒する視線が痛かった。少女の視線と向き合った瞬間、多少動いた。 予想に反して正面を注視(憤怒)しても、斜めに空を向いて(願望)してもいなかった。 きちんと揃えた膝、握った手と閉ざした唇、そして鼻先をかすめる視線。 私の身をすくませたものは、端正だが触るるあたわざるその断固感と沈黙だった。
恨ならば嗚咽、念願ならば祈祷、怒りなら絶叫が想像されるが、その少女はひたすら静かだった。 周辺には怒りと絶叫と願望が渦巻いていたが、その断固たる沈黙はブラックホールのように全てを吸い込んだ。‘雷のようだった’という維摩の沈黙。 聖俗、真偽、有無、生死、君と私など、そのすべての分別を越えて真理に入る道理(不二法門)を雷のように雄弁に語ったというその沈黙が思い浮かんだ。
先月初め日本人 松原勝氏は<文化放送>とのインタビューでこのように語った。 「授賞台で金メダルを首にかけたキム・ヨナ氏を見る時、ふと彼女たちが頭に浮かんだ。 彼女たちにもあのように光る青春が、美しい夢があっただろう。 しかしその夢を一度も追いかけてみることもできずに…」 66~67年前、南太平洋トラック島で軍務員として働いた彼であったので、彼が話す彼女たちとは、そこの慰安所に連れて来られた十六,七歳の朝鮮人女子たちだった。 凄絶に蹂りんされた少女の夢は一生彼の脳裏を離れなかったと語った。
←日本軍‘慰安婦’被害ハルモニが14日午後‘日本軍慰安婦問題解決のための1000回目定期水曜デモ’が開かれたソウル、鍾路区(チョンノグ)、中学洞(チュンハクトン)の日本大使館前で‘平和の碑’に触れている。この碑石は120㎝の少女像と空の椅子が日本大使館に向かい合うように設置された。 共同取材写真
朴木月はその同じ年頃の夢と好奇心、懐かしさと慎ましさをこのように表現したのか。 "松が花粉を飛ばす人里離れた峰、閏四月の日が長い、ウグイス泣けば" "門口の脇に見意味を寄せ鶯の声を聞いて」いる山番の人里離れた家の目の見えない少女。「1942年、十六の春がきた。 けれど暖かくもときめくこともなかった。 日帝は人間狩りを行った。」チョ・ユンオク ハルモニの夢はその年の春を最後に砕かれた。 その年の春 「ナムルを採りに行って姉さんと一緒に髪の毛をつかまれて引きずられて行った」シム・タルヒョン ハルモニは上海、台湾、フィリピン、パプアニューギニアの戦場へ連れて行かれた。 いっそ火に焼けて煙になったとすれば悔恨もなかったはず、滅多刺しにされつぎはぎで残った人生は生涯彼女たちを羞恥と恐怖の中でもがかせた。 キム・ユンシム ハルモニはかろうじて結婚したが、障害を持つ赤ん坊が生まれると夜中に逃げ出さなければならなかった。 過去が明らかになるかも知れないという恐怖がそんな懐かしい家庭を放棄させた。
そのように朝鮮の少女たちは凄絶に踏みにじられたが、戦争が終わっても彼女たちが戻る所はなかった。 夢に描いた故郷であり両親だったが、空しい夢だった。 売女! 日本軍の軍靴に続き押し寄せた指差しのせいでフン ハルモニは地球の片隅で病気にかかった獣のように身を縮めて生きなければならなかった。 祖国は慰労どころか、蹂りんされた己の国の娘の夢と人生を僅かな金で売ってしまい、その代金まで窃取した。
数日前、ある中国人が日本大使館に火炎瓶を投擲した。祖母が中国で日本軍慰安婦として引きずられて行ったという人だ。 鉄格子の中へ行くことを覚悟して謝罪を要求して投げた火炎瓶が私の一歩遅れた自責を刺激したが、事実、胸中の精神的な借財感は昨年末から積まれていた。 あらゆるメディアと団体が今年の人物を選定した。 キム・ジンスク、ナコムス、アン・チョルス、パク・ウォンスン、スティーブ・ジョブス、デモ参加者、投票者、さらにソク・ヘギュンまで上がった。 だが、その少女はどこにもいなかった。
その小さな沈黙であの厚かましい日本政府を便意を催した子犬のように戦々恐々と震わせた少女。 彼らとグルになりふるまった李政府を変化させ動かした少女。 今でも少女の沈黙は雷より大きな響きで両国国民と世界の人の胸をしっとり濡らして、この世の中の何人も人の夢を踏みにじるなと絶叫している。 私の永遠に続く今年の人物だ。 その顔に微笑が日差しのように差す日は果たして来るのか。 国家機関に対するテロ謀議さえもルームサロンでする、あの変わりなき暴力と不道徳の中で、どうして期待などできようか。
クァク・ビョンチャン論説委員 chankb@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/513980.html 訳J.S