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【2012 九老アリラン(上)】"九老(クロ)で20年、最低賃金を受け取ることには変わりなく"

登録:2012-01-09 07:41

原文入力:2012/01/08 19:59(1801字)
パク・テウ記者

九老(クロ)工団はどのように変わってきたか
中年になった女工のため息
携帯電話組み立て工場で
一日11~15時間ずつ労働
手にするのは月額130万ウォン

 1991年春、当時高等学校を卒業したばかりのチョン・ポヘ(仮名・40・女)氏はソウル郊外の家から地下鉄に乗り九老工団駅(現 九老デジタル団地駅)に降りた。 貧しさゆえに大学進学の代わりに就職を選択したチョン氏が一番最初に訪ねたところが九老工団だった。 彼女は工場警備室ごとに貼られていた‘社員募集’公告を見て、最もこぎれいに見えた電子製品部品工場で働き口を得た。

 21年が過ぎた今でもチョン氏は九老工団の携帯電話組み立て工場で仕事をしている。 工団の中だけで10回目の職場だ。 その間、工団の名前がソウルデジタル産業団地(以下、ソウルデ産)に変わって高層アパート型工場がびっしりと立ち並ぶなど多くのものが変わった。 だが、チョン氏の労働条件は以前と大差ない。

 毎朝8時30分までに出勤するチョン氏は狭苦しい更衣室で制塵服に着替えてクリーンルームでホコリをはらい落とした後、会議用テーブルほどの作業台に座る。 そして早ければ夕方7時、遅い日には夜11時まで一日中携帯電話を組み立てる。 先月ある深夜に会ったチョン氏はこの日一日で10人の同僚たちと共に携帯電話1100台を作ったといった。延長勤務のせいで目が充血していた彼女は「工場のスケジュールは元請けが要求する物量によって変わる」として「それで作業が終わる時間も夜8時とか、11時とか日によって違う」と話した。

 チョン氏は携帯電話シーズンである夏には月に300余時間、普段は250余時間働く。 精密性を要する作業なので携帯電話に顔を埋めるように仕事をするほかはなくて肩と首・手首などがすぐに痛くなるが、休み時間は午前10分、午後10分、昼休みの1時間だけだ。 普段から筋骨格系疾患があるが病院に行く時間はない。

 このように働いてチョン氏が手にするお金は基本金に賞与金を加えても月平均130万ウォン余り。 法定最低賃金に延長勤労手当てを加えた水準だ。 チョン氏は「20年間に工場10ヶ所を転々としたが、いつも月給は最低賃金水準」として苦笑いした。

 最低賃金(時間当り)が840ウォンだった1991年にチョン氏は月に30万ウォンを受け取り働いた。 1993年には結構大きな工場に就職して月給が60万ウォンまで上がった。 だが、1995年頃から工場が地方と外国へ移転し仕事場を探すのが難しくなり、1998年の外国為替危機の時は整理解雇されもした。 アパート型工場が雨後の筍のように建った2000年以後には人材派遣業者を通じた間接雇用が一般化し、九老工団で非正規職・低賃金・長時間労働のくびきから抜け出すことはより一層難しくなった。 チョン氏は九老工団の外の別の仕事を調べてみようとしたが失敗して再び人材派遣業者を訪ねるほかはなかったと語った。

 20年前、幼いチョン氏の隣の席は20代の若い女工が一杯だったが、今は40~50代の中年女性たちが満たしている。 彼女たちはほとんどが家庭で生計の責任を負わなければならない立場であり、残業手当てをもらえるという理由でこちらで働いている。 彼女たちは20年前と同様、自身より年齢の幼い管理者から「家の中でもこんな風にするのか」のような嫌味を聞きながら働いている。

 チョン氏は「たくさん勉強した人々が工団をたくさん訪れるようになり、建物が華麗に高くなったこと以外には工団の実状は昔も今も違わない」と話した。

 先端知識産業メーカーと呼ばれるソウルデ産には昔の九老工団の痕跡である4000余りの製造業者がまだ残っていて、5万3000人余りの製造業労働者が働いている。 ソウルデ産労働者全体の半分近い数値だ。 彼らは20年前に労働者が担った低賃金・長時間労働という(ねずみの)輪車を今も転がしている。 パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/513840.html 訳J.S