原文入力:2011/11/10 18:33(2204字)
キム・ヨジン、今日はうれしくて涙
キム・ドヒョン記者
ツイッターで友情 生中継…1次希望バス "見えます" (ヨジン) "あなたがいてくれて本当に良かった!" (ジンスク)
キム・ヨジン 大統領府前でひざまずいて訴えることも…ツイッター親友、再会した恋人のように抱き合って
←キム・ジンスクがキム・ヨジンの涙をふいてあげている。 写真パク・ジョンシク記者
あたかも永く離れていたかつての恋人のように二人は‘わーっと’抱きあった。
10日午後、釜山影島事業所85号クレーン下でキム・ジンスク民主労組釜山本部指導委員と俳優キム・ヨジン氏が熱く出会った。キム・ジンスクの話が出てきただけで涙を流すキム・ヨジン氏は、どうにも涙を隠すことができなかった。しかし、それは過去の涙とは違うものだった。キム氏はこの日午後5時40分頃、ツイッターに「夢のようだ」と感激の一端を表わした。
309日間高さ35mのクレーン上に自ら監獄を作り、整理解雇された韓進重組合員が復職するまで自ら降りて行くことを拒否したキム・ジンスク委員の無事帰還を誰よりも喜んだ人の中のひとりがキム・ヨジン氏だ。キム氏はキム委員が生還できるようさせた貢献者の中の1人だ。
ツイッターを通じてキム委員を初めて知ったというキム・ヨジン氏はキム委員の境遇を辛く思い彼女の主張に共感を示すツイッター文をほとんど毎日作り14万人に達するフェローに伝達した。
彼女の文は数え切れないほどリツィットされ、キム・ジンスクと韓進重事態の存在を大衆の心に刻んだ。「おやすみ、あなた~」のような感性的なメンションはどんな論理的な主張よりも大衆の胸中に大きな波紋を起こした。
キム指導委員と韓進重事態が大衆に知らされた決定的な事件は‘整理解雇・非正規職のいない世の中のための希望のバス’の1次釜山行(6月11~12日)だったが、そこに核爆弾級の威力を加えたのがキム氏の行動だった。6月12日午前1時、釜山韓進重影島事業所正門前で警察に囲まれ足を踏み鳴らし翌1時に希望のバスの人波に力づけられ造船所に入った。この時から午前11時40分まで二人は携帯メールを通じて共感を交わした。
"見えます" (ヨジン) "皆すばらしい!!!" (ジンスク) "正門側道の向かい側にいます。..二人で話できたらうれしい!" (ヨジン) "あなたがいてくれてよかった。 本当によかった!" (ジンスク)
10時40分頃、パトカーに乗せられたキム・ヨジン氏連行の便りもキム委員に直ちに伝えられた。「どちらですか?」「護送車の中^^」キム氏の連行の便りを伝えるツイッターは無数のリツィットを産み‘希望のバス’に対する関心を増幅させた。
3日後、キム氏はソウル、鍾路区(チョンノグ)、清雲洞(チョンウンドン)の大統領府前で涙の呼び掛けをした。
"チョ・ナモ(韓進重工業)会長様、私は本当にあなたの前で99回、いや990回、9900回でも膝まずくことができます。お願いします。どうか、その人がケガをセずに降りてこれるよう対話して下さい。"
それと共に彼女は 「ツイッターを通じて初めて知った彼女は私が会ったどんな人よりも優れたユーモア感覚を持っていて、魅力的な方」としつつ、あまり知られていなかったキム委員の人間的魅力を紹介した。
彼女は続けて「その方に何かが起きるならば、私もやはり生きていられないと思うし、その日、率直にもうやめて降りて来てくださいとねだりたかった」と胸の内を打ち明け「でも、その方は死んでいった3人の同志と今 解雇にあっている同僚たちのために99回倒れても屈することはできない話した」とキム委員の覚悟を代弁した。
高空籠城300日目の去る1日夜、キム氏はキム委員のために泣いた。
希望のバス企画団がソウル、葛月洞(カルォルドン)の韓進重本社前道路に用意した希望のバス ラジオブースでキム氏はキム委員の「元気です」という短い一言にこらえていた涙をあふれさせた。キム委員は「降りてくれば何を一番したいですか」というキム氏の質問に「緊張を解き、ゆっくり朝寝坊したい」と答えた。お湯にからだをゆっくり沈めて入浴したいし、熱いサウナでからだを癒したいし、辛い中国料理も食べたいと言った。自炊しながら飽きるほど食べたラーメンもこの頃は良く思い出すと言った。
しかしキム委員の願いは当分かなえられることはなく、キム・ヨジン氏の心を痛くするようだ。キム委員はクレーンから降りるやいなや警察の護衛の下、釜山東亜代病院へ後送された。
キム・ドヒョン先任記者 aip209@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/504907.html 訳J.S