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"金大中は対北韓政策で理想主義者、盧武鉉は理解し難い"

登録:2011-11-03 11:13

原文入力:2011/11/02 22:50(1754字)
クォン・テホ記者


コンドリーザ・ライス前国務長官 回顧録 発刊
"2001年 韓-米首脳会談 目前
パウエル、対北韓 穏健策維持を明らかにするや
ブッシュが夜明けに電話し激怒"


←コンドリーザ・ライス前米国国務長官回顧録 発刊


ジョージ・ブッシュ米国行政府でホワイトハウス国家安保補佐官と国務長官を務めたコンドリーザ・ライスが1日(現地時間)市販された回顧録<最高の栄誉、ワシントン時期の回顧>で対北韓政策をめぐるブッシュ行政府内の激しい争いと韓国の前任大統領に対する印象を伝えた。

ブッシュ行政府期間、ずっと対北韓政策ラインはディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官を軸とする強硬派(タカ派)とコリン・パウエル国務長官に代表される穏健派(ハト派)に分かれて対立していたが、その対立は2001年3月の韓-米首脳会談を契機に初めて表面化した。ブッシュ就任後、初めての韓-米首脳会談を目前にした時点で<ワシントン ポスト>がパウエル長官の話を引用して「クリントン行政府の対北韓接近法を維持するという意を韓国側に伝達するだろう」と報道し、ブッシュ大統領は明け方5時にライス前長官に電話をかけ烈火のように怒り、パウエルが釈明に釈明に向かわせた。 ライスは「この首脳会談以後、対北韓政策は行政府で最も異見の多いイシューとなる状況になった」と明らかにした。


ライスは「率直に言ってブッシュ大統領も強硬タカ派の立場だった」として「私もやはり北韓に圧迫を加えなければならないという立場だったが、(チェイニーとラムズフェルドらが主張した)政権交替戦略は東北アジアで韓国や中国が共にできる戦略ではないうえに、実行可能な政策ではなかった」と書いた。


←2006年11月11日、ベトナムで開かれたアジア太平洋経済協力体(APEC)首脳会議で盧武鉉大統領(左側)がブッシュ米国大統領と首脳会談をした後、ライス国務長官(右側)と挨拶を交わしている。ハノイ/大統領府カメラマン団


ライスはイラク侵攻などブッシュ大統領の中東政策は積極的に擁護した。リビア民主化もまた「2003年ムアマル・カダフィが米国との交渉で核兵器および生化学兵器解体に同意したために彼が窮地に追い込まれながらもそういう武器を使えなかった」として「当時ブッシュ行政府の措置があったのでリビア民主化も可能だった」と主張した。また、彼はカダフィを‘怪物’、‘自身の頭の中に生きる人’と表現し、ライスを慕っていたと知られるカダフィが、自身に写真スクラップブックを見せ歌を聞かせたこと等については "不思議な経験" と言及した。


ライスは金大中、盧武鉉前大統領に対する印象も明らかにした。金前大統領に対しては「やわらかい態度の老政客である金前大統領は、太陽政策を通じて窮極的に北韓体制を変えられると信じた理想主義者でもあった」と評しながらも「(首脳会談で)私たちは北韓を扱う方法について異なる見解を持っているということを明確にした」と記録した。盧前大統領に対する言及は酷評に近かった。ライス前長官は「理解し難い大統領」とし「私に韓国は米国と中国の均衡者としての役割を果たす必要があるという提案をし講義をするなど、反米的姿を示唆する発言を度々した」と話した。特に彼は2007年9月オーストラリア、シドニーで開かれた韓-米首脳会談当時「ブッシュ大統領が盧大統領の要請で‘北韓が核兵器を放棄すれば北韓との関係正常化を推進する’という意を記者たちに話したが、盧大統領は‘終戦宣言について話を抜かされたようだが、明確に話をして下さればと思う’と要請し、ブッシュ大統領が突然の状況に多少驚いた」と伝えた。彼は通訳者が通訳を中断するほど人々が慌てたが「盧大統領は外見上からはその状況がどれほど奇異な状況であったか分からないようだった」と回顧した。


ワシントン/クォン・テホ特派員 ho@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/america/503743.html 訳J.S