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ゲイを標準化するな

登録:2011-09-24 13:56

[マガジンesc] キムジョ・グァンスの「マイ ゲイ ライフ」
原文入力:2010/10/21 13:14(1526字)

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「チョ・グォンって、本当はゲイなの?」 この頃、私が最も多く受ける質問の一つだ。(2AMの)チョ・グォン氏がインタビューを通じて「私はゲイではない」と主張したので、私の返事も「違うんじゃない!」だ。私がいくらゲイド(ゲイなのか判別する能力、「ゲイ+レーダー」を合成した話)が発達している、気のきいた姉さんだとしても、会ったこともない人を鑑定することなど、できるはずないではないか! 私がござを敷いて占う程でもない話。その上、本人が何回も違うと話しているのに、何がそんなに気になるのだろうか。

私にそのような質問をするには理由がある。カプグォン[訳注:「しきりに得意になってそそっかしく振り舞うグォン」の意味のニックネーム]と呼ばれる彼が、ゲイである可能性が高いと考えるためだ。この際、一つだけ確かめてみよう。「女らしい男性=ゲイ」という等式は可能なのか? 大部分の人々が、女らしい男を見ればゲイだと思う。大体はあっている。しかし100%ではない。いや、私の経験から判断すると、80%にもならないようだ。ひっくり返して「ゲイ=女らしい」という等式も同じだ。私の周辺のゲイの友人は、ある程度、女らしくておしゃべりだが、皆が皆、そうではない。一般人(異性愛者)より男らしいゲイ姉さんもかなり多い。本当なのかと? もちろんだ! ゲイが皆、鼻声を出して、大げさに騒ぐという考えをするようになったのは、メディアの影響のためでもある。映画やテレビを通じて出会うゲイのキャラクターが、大部分そうではなかったのか。主演ではなく助演や端役として登場しながら戯画化され、嘲弄の対象になったり同情を受けて当然な(!) 人物として描かれてきたことは事実だ。ゲイを「男性だが、雰囲気は浅はかな女性」として作るのは、ゲイと女性全員を差別して卑下しようとする家父長的な男性たちの戦略的選択だった。それが繰り返されるにつれ、女らしい男性を見れば当然、ゲイだろう考えることになった。

最近、女らしくない美男俳優が演じるゲイキャラクターが登場したが、現実的ではないとして批判する人々が多い。一種のファンタジーでゲイを美化するとまで考えたりもする。 笑わせる話だ。 ゲイが皆、美男であることはないが、週末ごとに鍾路3街や梨泰院に美男ゲイがあふれ出ているのも厳然な現実だ。 同じ俳優が異性愛メロドラマの演技をする時は何の言わないのに、ゲイとして出てくれば非現実的というのは差別だ。 美男ゲイキャラクターが原因で、ゲイが全員美男子であると言う錯覚を作り出すというのは、「同性愛ドラマを見てゲイなる」というのと同じく幼稚な発想だ。

ゲイの全員が、イ・サンウやソン・チャンウィのようではないが、それでも皆がホン・ソクチョンであるのではない。世の中には数多くのゲイが、それぞれの個性を持って生きている。大言壮語すると、ゲイは一般人より、はるかに個性が強いだろう。だから私たちを標準化しようとしてはならない。ノーサンキューだ。ゲイたちの間でも、女らしいゲイを「キスニ」と卑下する人々がいる。本当にたちが悪い。大韓民国キスニ代表として一言、言おうとするなら、自分の個性を表わして自由に生きるということを非難したり差別する権利はどこの誰にもない。その上、同じ側の人をあいくちでねらうのは、真に愚かなことだ。誰が好んでそんなことをするのか?

キムジョ・グァンス 映画監督
原文:https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/281/444905.html 訳 M.S