原文入力:2011/09/15 23:04(3630字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
昨日私は久し振りにレニングラードに住むある年老いた親戚と電話で話しました。予想していた通り、その親戚の話は主に世の中に対する不平不満でした。どんなに脊椎と足の骨が痛くても「社会福祉支出の削減」を目指す国立病院にこれを「障害」として認めてもらえないため、「障害年金」(すなわち、一般年金よりやや高い年金)を受けられない。持続的な労働の経歴もなく、これから受給できる年金は概して最低高齢年金、すなわち25万ウォン相当の金額になるだろうというのが不平不満の主な内容でした。物価水準がソウル以上の都会であるレニングラードでは、この位のお金ではパンと牛乳は買えても魚もたまにしか食べられないはずであり、これと同じような境遇に多くの底所得層の老人たちが晒されています。この話を聞いた私は憤りを感じ、このようにソ連時代からの福祉制度さえも少しずつこっそりと削っているプーチンの悪辣な独裁に立ち向かい老年層の市民たちが中心になって闘わなければならないんじゃないか、この独裁が崩壊し、より社会主義志向の政権が成立しない限り、このような苦痛は続くだろうと話してみたら、相手の反応は意外と冷淡なものでした。
「闘う?いくら闘ったところで、どうせ主観的な幸せとは人によりけりで、幸せな人はパンと牛乳だけでも幸せだろうし、不幸な人はいくら闘争しても不幸だろう。あの政権が倒れこの政権が立ち……これから4百万年が経てばアフリカとヨーロッパもほとんど一つになるなど、世界地図さえもすべて変わるはずなのに、今この時代にどんな政権を誰が倒し年金引き上げのために誰がどのように闘争していたことなどを果して誰が覚えているだろうか。闘争だろうと何だろうと宇宙のレベルで考えれば単なる塵にすぎないんだ。塵。そんな虚しいことに時間を費やすより、むしろ花びらの露でも眺めてみたり、赤ん坊の笑い声をよく聞いてごらん。それこそが幸せな事なんだ。」
この話を聞いて私はすぐにはこれといった説得力のある返事が見つからず、結局話題を変えて少し話してから電話を切ってしまいました。電話を切ってからじっと考えてみたら、パンと牛乳だけで満足しながら花びらの露や赤ん坊の笑い声から幸せを見出すという話そのものは一応肯けました。幸せとは遠くにあるものではなく、宇宙的な生命のリズムを感じる各々の心の中にあることはその通りで、箪食瓢飲の幸せに関する先祖たちの話ももちろん間違いではないでしょう。そこまではその通りなのですが、しばらく考えてみたら清い心で花びらの露を愛で赤ん坊の笑い声を聞くためにも「闘い」という過程が必要かもしれないという結論に達しました。すなわち、闘いとは童心を取り戻し天地の道と合一することの反対というよりは、その事の前提になりうるという気がしたのです。
表面的には、欲望を慎み修養に励むこと(遏人欲処工夫)と「闘い」という過程はほとんど正反対に見えたりします。革命的な状況に置かれたり暴圧的な政権に立ち向かう時は、暴力を強く嫌う闘士がやむを得ず暴力に訴えざるを得ない矛盾にいくらでも直面することがあり得ます。実際、ロシア革命運動の歴史を眺めただけでも、概して過激な闘争手段に訴える人々はたいてい根っから善良で暴力の「暴」の字も口に出しそうにない人々でした。1878年にある政治犯を処罰したサンクトペテルブルクの警察庁長官を射殺しようとし未遂に終わった人民主義/マルクス主義運動のヒロインであるヴェーラ・ザスーリチ(Vera Ivanovna Zasulich、1849~1919)を思い出してみましょう。助産婦という職業柄、生命の誕生を手助けしなければならない彼女は、お金や配慮の必要なすべての人々に借しむことなく救いの手を差し伸べ、まるで天使のように善良であったことで名高く、裁判の陪審員たちが彼女を無罪にした理由の一つは、まさにそのような普段からの評判があったからでもありました。後に亡命先でマルクス主義を受け入れ、主に大衆的な著述活動による革命的な啓蒙運動に余生を捧げた、すなわち暴力と何の個人的な関わりもなかった彼女にとって運命の1878年1月24日に警察庁長官の胸にピストルを撃つことは果してどんなに苦しいことだったでしょうか。帝政ロシアのような無間地獄での闘争とは、時には本人の善良な心を極度に抑え想像だにしたことのない武器を手に執ることを意味しましたが、ノルウェーのようなより開化した社会では、私自身の属する赤色党(共産党)での闘争とは相当に時間消耗的で退屈なだけです。会議をしビラを書いたり、色んな人々を説得したり、日刊紙『階級闘争』紙を購読しながらたまには寄稿したり、集会に出たり……生業、育児に加えられたもう一つの「仕事」をするという気持ちになるだけです。それでは、暴力的だったり、或いは退屈で時間消耗的だったりするこの「闘争」という過程は本当に人間の性情に合わない、この広大な宇宙の秩序とは無縁の、窮極的には人類にも幸福を追い求める個人にも必要のない「塵」のようなものでしょうか。
昔は「闘争と宇宙の秩序、そして幸せ」というこの問題について、おそらく最も正確な答えを出したのは偉大な革命詩人マヤコブスキー(1893~1930)だったように思います。
Пролетарии 無産階級は
приходят к коммунизму 共産主義へ来るのは
низом — 下からだ。
низом шахт, 鉱山、
серпов 鎌、
и вил, — 鎖の「下」から。
я ж 私なら
с небес поэзии 詩文学の宇宙から
бросаюсь в коммунизм, 共産主義に溺れる。
потому что 何故か
нет мне 私にはそれなしには
без него любви 恋はないからだ。
(1925年)
皇帝の監獄で良心囚たちが鞭打たれているのを知っていながら、ただ可愛らしい子供の笑い声を聞いて幸せに暮すことはできないのです。まあ、幸せだと勘違いしながら生きることはできるでしょうが、まるで観音菩薩のようだったヴェーラ・ザスーリチのような善良な人にはそうすることはできなかったのです。彼女にとってピストルを手にしたことは、ただ自他の幸せを祈り世の中が愛で満ち溢れることを祈る心の表現でした。暴圧統治下でいくら四六時中赤ん坊の笑い声を聞いたところで、良心のある人なら真の幸せを感じることはできないのは自明なことですが、実は「正常」な資本主義国家でも程度の差こそあれ、質的な違いはありません。ノルウェーだけでも「正常な」暮らしとは自分自身を労働市場に売る「賃金奴隷」(wage slave)のそれであり、自分の人間的な本質である労働を商品化して売る人生にすぎないのです。ノルウェーの「賃金奴隷」くらいなら世界的にはかなり「豊かな奴隷」に属しますが、第3世界で5秒ごとに一人の子供が餓死していることをはっきりと知っていながら、お隣の子供の無邪気な笑い声をめでてばかりいられるでしょうか。資本主義がこの地球という星を年に6百万人の子供が餓死する大きな拷問室かつ屠殺場にしてしまったことを承知していながら、本当に個人的な幸福感に浸っていることなどできるものでしょうか。もちろん宣伝ビラを書き集会に出るからといって直接には一人の子供も救うことはできませんが、個人的に退屈で無意味に見えたりもするこのような行動の一つ一つが結局は資本主義転覆のための一つの基盤を用意するのです。反資本主義的な政党や活動家層、イデオロギーなどが存在しなければ危機に直面しても資本主義の克服は不可能だろうし、資本主義克服の見込みが見えなければ真の意味での幸せも構造的に訪れてこないのです。これがレニングラードに住む年老いた親戚と電話で話してからようやく下した結論でした。