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日帝時代から続いた「女性労働残酷史」

登録:2011-07-18 01:51

原文入力:2011/07/12 20:33
チェ・ウォンヒョン記者

季刊誌『明日をひらく歴史』
日帝強占期の働く女性に照明
カン・イス教授の『韓国近現代の女性労働』
変わらぬ差別構造を探り
 
▲日帝強占期に資本主義の発達に応じて、近代的な女性労働が始まり、電話交換手を指す「ハローガール」など、未婚の働く女性たちは、各種「ガール」と呼ばれた。写真は昔のソウル中央電話局の市外電話交換室。『ハンギョレ』資料写真

「きらびやかに光るネオンサインが消えてやっと家に帰れる“デパートガール”。1日に数百数千の客に接し、品物を渡しお金を受け取る。14時間もの間一度も座って休むことなく、ずっと立っている」。ある「バスガール」は自分を指して「パンの絶大な威力の下で機械のように奴隷仕事をする人」という。「エレベーターガール」は「足が反り骨が溶けるようだ」と、過酷な労働を嘆く。「ハローガール」は「前にはお客さんの罵倒、後ろには交換監督の叱り」が怖いという。
日帝強占期に私たちの社会に初めて登場した近代的な「職業女性」の姿は、新聞記事や手記など様々な記録を介して伝えられている。彼女らの境遇と苦痛は、今日のサービス職種に従事する多くの女性労働者のそれと、どのくらい違うか?

季刊誌『明日をひらく歴史』に「日常生活史」を連載しているチェ・ギュジン成均館大学校東アジア歴史研究所首席研究員は、今回の夏号に、日帝強占期の女性労働を照らす「職業女性、あるいは、“ガール”グループ」を掲載した。職業女性とは、当時、一定の教育を受け、近代的な仕事をしていた女性たちを指すという。デパート職員の「デパートガール」、バス車掌の「バスガール」、電話交換手の「ハローガール」、劇場で切符を販売する「チケットガール」などのサービス職種から、「マニキュアガール」「ビリヤードガール」など性商品化の流れによって売買春の境界に立っていた職種まで、資本主義の発達とともに当時の朝鮮半島では、様々な女性の職種が現れた。

メディアの記録を見ると、「なんで男の代わりに女性を使うか」の質問に、雇用主たちは「親切で給料も安い」「態度が従順なのが愉快な気持ちを与える」「我慢強く、効率的であり、また、薄給でも甘受する点がよい」「男性より好奇心を起こさせるのに効果的だ」などと答えた。職業女性たちは、資本主義の発達とともに訪れた過酷な労働と監督・統制、蔑視と感情労働を経験しなければならなかったという。チェ研究員は「経済的理由で職業戦線に飛び込んだ職業女性の多くは結婚して職場を去ることを望んでいた」と説明した。

カン・イス尚志大学校文化コンテンツ学科教授も、近代の職業女性を含む、過去20年間、韓国近現代の女性労働者について行った独自の研究成果をまとめた著書『韓国近現代の女性労働——変化とアイデンティティー』を最近出版した。カン教授は様々な「ガール」たちで代表される植民地時代の働く女性の労働について、「新しい近代職業としてのサービス業の女性の経験は、過去から現在まで類似点が発見される」と説明した。感情労働をしなければならず、日常的にセクハラがなされるという点、また、未婚女性の短期的な雇用という特性などは、今日の女性のサービス職種にもつながる特性であるという。
 
カン教授はこの他にも、1930年代の綿紡績工場で働いていた女性労働者、60年代の産業化の時期の女性労働者、今日の家事サービス労働者などへの考察を通じて、「資本主義社会の補助的労働力」とされてきた女性労働者に対する不変の差別構造を探った。カン教授は「資本主義社会は、出産と養育の負担から免除された男性の労働力を理想的な労働者として想定する規範が働くシステムであるが、この中で、出産と養育、家事労働まで担当する女性労働者は、副次的であり周辺的なカテゴリーとして扱われている」と指摘した。

チェ・ウォンヒョン記者