原文入力:2011-01-14午後08:19:54(1731字)
←ナム・ジェイル慶北大新聞放送学科教授
批判の中で最も難しいのが職場の人事権者批判だ。直ちにメシの種が危険になるためだ。さらに難しいことは上司と同僚をひっくるめて‘内部’を告発することだ。飯の種はもちろん手づるまで切れるためだ。大統領を日常茶飯に批判する記者たちでも所属会社の社長を批判し同僚の不正を告発することは容易ではない。だから先日、韓国放送(KBS)のある若い記者が社長を批判する公開書簡を送った時、同僚記者たちと市民は勇敢な行動に歓呼した。言論は人を批判し告発することを主な仕事とするので内部を批判する省察的行為は市民に言論の真正性を確信させるアリバイとなる。
文化放送(MBC)‘PD手帳’が11日夜に放映した‘公正社会と落下傘’編でKT専務として行ったキム・ウンヘ前文化放送アンカーを李明博政府下でなされた天下り人事の代表的事例に選んだのもそのようなケースに該当するのではと思う。言論界には所属会社の記者が政界に進出すれば後押ししないまでも批判は慎む‘前官礼遇’の慣行が残っていることは事実だ。こういう悪習は同じ職場で苦労した同僚に対する単純な温情主義のためかもしれない。だが、紙面を通じた温情の表現はニュース媒体の私有化であり、言論の存在根拠を傷つける深刻な問題だ。キム・ウンヘ前アンカーに対する‘PD手帳’の鋭い攻撃は、もはや前官礼遇はしないという宣言のように聞こえる。
別の見解を示す人もいた。私の講義を聞く学生たちの中の1人は「前官礼遇克服と見るには難しく、キム・ウンヘに対して特別に現れる態度でありうる」という意見を提示した。前官礼遇克服の意志があったとすれば人事初期にすべきだが、一歩遅れてKT労組が天下り人事撤廃運動をする時点にしたということはイメージが悪くなった前職同僚と一線を画しているように見えるということだ。 傾聴する価値のある指摘だ。製作陣が聞けば真意が疑われたようでさびしく思うかもしれないが、逆に考えれば前官礼遇の克服がそれだけ難しいという認定が基礎にある。
←キム・ウンヘ前大統領府報道官事実、記者が最も拒むことが難しい誘惑は媒体を私有化し私益を追求することだ。公益を標ぼうし私益を追求する言論を遠回しに例えて「最も高いところで話しているようだが、実は巨人の肩に乗ったおしゃべりな小人」という侮蔑の話はどこまですれば出てくるのだろうか。ところでこういう記者らはかなり多い。大統領の頭のてっぺんで政略的入れ知恵をすることを業とするこれらは、すでに朴槿恵の大統領選挙を本人らが念慮している。もしかして席の一つも落ちていないだろうかと政治家の参謀役割を自認するなら巨人の肩に乗った小人に相違ない。ところで見回せば自ら姿勢を低める小さな巨人のような記者も多い。三星半導体工場の白血病労働者報道をしたプレシアン記者を見よ。無力な労働者のために三星という巨人を告発しているではないか。言論の発言の中で最上は社会的弱者の立場から巨悪を告発することだ。それは人間に対する愛と権力に抵抗する勇気を同時に必要とする。
総合編成が始まれば言論の政派性と扇情性が極に達するだろうと異口同音に心配している。多分そうするだろう。だが、作用があれば反作用がある。小人らの横暴が激しくなれば、小さな巨人らの抵抗も強まる。言論は常に両面的だった。カギは市民の積極的介入だ。記者が小人になるか巨人になるかは市民の関心と支援が何より重要だ。市民は記者たちに月給を与えない。関心と参加もなしに客観性をくれ! 公正性をくれ! むやみにしつこくねだってみても効果がない。小さな巨人たちを励ますラブレターを書こう。報道内容をツイッターで配ろう。そうして彼らが市民の代理人であることを自認する真の巨人になるように市民自ら育てよう。言論の背後は常に市民でなければならない。
ナム・ジェイル慶北大新聞放送学科教授
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/458873.html 訳J.S