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21世紀 危険階級‘プレカリアート’

登録:2010-09-12 07:38
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[Focus] ガイ スタンディング教授 インタビュー(5564字)

[5号] 2010年09月01日(水)チョ・ゲワン economyinsight@hani.co.kr

チョ・ゲワン国内編集長

ガイ スタンディング(Guy Standing)教授は英国バス(Bath)大学の‘経済的安定’分野の教授で、国際労働機構(ILO)の‘社会・経済的安定プログラム’局長を務めたことがある。彼は<グローバル労働柔軟化>(1999)と<世界化以後のこと>(2010)を出すなど国際労働研究分野の世界的権威者だ。‘基本所得 地球ネットワーク’(BIEN・Basic Income Earth Network)の共同創立者であり、名誉共同代表でもある。最近、韓国に来た彼は<エコノミーインサイト>とのインタビューで「去る30年間、労働市場の急速な柔軟化が新たな危険階級である‘プレカリアート’(Precariat)層を作り出している」として「青年失業率と非正規職比率が高い韓国でもプレカリアートが大きく増えていると見られる」と話した。インタビューは8月19日午前、ソウル、麻浦にあるロッテシティホテルで行われた。

グローバル金融危機が全世界的に雇用と暮らしの安定に及ぼしている破壊的衝撃はどんなものか?

2008年、世界を強打した金融危機は去る30年にわたり進行された世界化という全地球的変換が招いた危機だ。この変換過程を見れば、シカゴ学派と関連した新自由主義的経済思想が世の中をリードし金融資本が主導して全地球的市場体制が構築された。その結果として2008年危機がさく烈したと見る。この30年間の巨大な変換過程で所得不平等が拡大し‘雇用なき成長’が現れた。米国の場合には経済危機以後かえって‘働き口を減らす景気回復’(Jobloss Recovery)が現れている。こういうことが危機を呼び起こした根底に敷かれていた問題だ。新自由主義的世界市場というサイレンは人々を‘不安定’という岩の上へ誘惑した。こういう地球的変換は共同体と社会的連帯という強力な観念を除去し、自由と平等も侵食した。地球化は経済的不安を招き所得と富の不平等をより一層深化させた。1929年の大恐慌時にも経験した危機だが、すべての先進国で巨大な規模で不平等が増加している。しかし新自由主義経済学者らは不平等を問題にはしない。経済成長の果実が自然に下へ流れ経済全体に行き渡る‘トゥリクルダウン(Trickle Down)効果’を信奉するためだ。だがトゥリクルダウンはもはや効果的に作動しないということが証明されている。不平等は社会を蝕み敗者を不満と挫折、相対的剥奪感に陥れる。

最近、スタンディング教授本人が‘プレカリアート’という用語を使い労働市場の新しい集団を指し示しているが。

日雇いや臨時職などの非正規職、そして派遣・用役など間接労働への変化は全世界的な傾向だ。労働市場の急速な柔軟化が量産している新たな階層がまさにプレカリアートだ。不安定な職業を持つ人々、安定した雇用展望を持つことが出来ない人々、特別な職業経歴を持つことが出来ない人々などで構成された集団が増加しているが、これらをプレカリアート(Precariat・‘不安定な’という意味のイタリア語Precariとプロレタリアート(Proletariat)の合成語)と呼ぶことができる。プレカリアートは全地球的変換が招いた最近の社会・経済危機が見せる核心的な特徴だ。不安定な職業を転々としながら不安な労働生涯を毎日送っているプレカリアートは全世界的に数十億人に達する。大部分は‘都市遊牧民’のように、自分たちがどこへ行くのか、将来どこにいるかも知れないままに生きていく。 これらはアイデンティティもなく、一定の職業もなく、自分の人生の将来を設計することもできない。プレカリアートは働き口を持っていても社内福祉恩恵をほとんど受けることができず、国家が提供する公的年金福祉も制限的にのみ受ける。これらは未来に対する希望を持たず非正規職としてサービス セクターを転々として生きてゆく。

非正規職が順次プレカリアート化するという話なのか?

韓国と日本の非正規職労働者は社会保険から排除されているが、これはプレカリアートになったり、プレカリアートとして残る可能性を高める要因だ。開発途上国はもちろん、さらに経済協力開発機構(OECD)に属する暮らしよい国でも過度な労働柔軟化により不安定労働者が増加している。これらは一日の仕事を終え、インターネット サーフィンをしたりチャットをしてサッカー競技に熱狂的に興奮しながら余暇を過ごす。極度の不安定により自分の人生を設計できないためにインターネットとサッカーのようなスポーツに余暇の多くを費やすということだ。現代版‘パンとサーカス’(ローマ時代に民衆に食べ物と多様な見ものを提供し、政治と民主主義に関心を持つことができなくさせた政策)ということができる。

プレカリアートは非正規職範疇と何が違うのか?

プレカリアートは単純に雇用形態や賃金水準などを越え社会と共同体、人生の安定と不安などの側面で幅広く労働者集団を把握する概念だ。プレカリアートは所得不安定により生き方も極度の不安定性を見せる。大多数のプレカリアートは創意的で安定した人生を持たらす倫理規範を欠如している。これらはルンペン プロレタリアートや周辺部労働者とも異なる。これらは21世紀の全く新しい形態の労働者集団で、労働市場柔軟化により ますますその層が厚くなるだろう。私はこれらを‘新しい危険階級’(New Dangerous Class)と呼ぶ。事実、プレカリアートは外国人や移住労働者、経済的弱者などに対し非常に敵対的だ。それらが自身の働き口を侵すと考えるためだ。自身が社会保障制度の保護を受けることができないために生活が不安で、その結果、他の人々、例えば外国人と移住労働者に敵対感を現わすということだ。こういう現象は韓国も例外ではない。これらがますます社会で多数になりつつあるが、どんな政策を通じてこれらを助けられるかが不確かな状況だ。

国際労働機構(ILO)の最近の報告書によれば、金融危機以後 全世界青年失業率が13%(2009年)で、近ごろ最高値を記録した。韓国でも青年失業が、深刻な社会・経済的問題だ。
韓国でも労働市場の地形が大きく変化しており、新しいプレカリアート階層が登場すると見られる。事実すべてのOECD国家でプレカリアート層が新たに形成され増えている。非正規職の増加など、労働市場柔軟化のためだ。韓国のプレカリアート規模は日本より大きいかもしれない。全体労働力に占める臨時職比率がOECD国家で最も高いためだ。実際にプレカリアートに分類される労働人口比率が高いと見るに足る根拠もある。韓国の場合、非正規職労働者の時間当り賃金を正規職と比較する時、1990年代後半64.3%から2005年54.9%にさらに減った。大多数のプレカリアートは低賃金労働者だ。

青年失業者も順次プレカリアート化されると見るか?

全世界的にプレカリアートは青年と女性層で増えている。人種的少数者が新たに労働人口に流入しながら、この層はより一層拡大している。これらは柔軟な低賃金労働力の源泉だ。プレカリアートは雇用形態と生活様式、そして彼らが共有する不安定という側面で範疇化される。特に注目すべき点はプレカリアートになることを恐れたり、自身の子供・親戚・友人がプレカリアートになることを恐れる人々の場合、ポピュリズムと政治的極端主義のスローガンに巻きこまれやすいという点だ。これが今、世界経済危機が直面している最も恐ろしい側面だ。不安定のぬかるみに陥ったプレカリアートたちは自身の状況が改善されない場合、扇動家あるいは極端主義者を支持することになるだろう。それはすでに起きている。実際にイタリア シルビオ・ベルスコーニ総理はマフィアと結託し社会を支配しようとしている。ベルスコーニ周辺のエリートたちは選挙で勝利しようとプレカリアートの恐怖を利用している。米国のティーパーティー(Tea Party・税金引下と小さな政府などを主に主張する保守派政治運動団体)の亡霊は、プレカリアートの時代と彼らの不安定を見示す兆候だ。もし私たちがこういう事態発展を傍観するならば、とても醜悪な、そして1930年代大恐慌時期に迫り来た恐ろしい事件と似た何かが今後起きるだろう。私たち皆が気がついて、こういう悪夢が迫ることを防がなければならない。

韓国の青年失業者に助言したいことがあれば?

最近イタリアに行ったが、そちらのプレカリアートは組織化されていた。自分たちの仕事をする権利と市民権などの基本的権利を保証させるために労組とともにデモも行い、各種政治的影響力を行使する行動を模索している。組織化を通じて声を大きくしなければならない。歴史的に若者たちは進歩的発展を牽引してきた。しかし、もし若者たちがその情熱を過度に個人的な目標と考えに浪費するならば、彼らは苦痛を味わう世代になってしまうだろう。それでも私は楽観している。青年たちは新しい政治的アジェンダを引き出すことができると。

‘基本所得 地球ネットワーク’(BIEN)の共同代表だが、私たちの時代に基本所得がなぜ必要なのか?

1986年、ヨーロッパの何人かの経済学者がベルギーに集まり、経済発展と社会保障制度に関する議論をした。既存福祉国家プログラムは当時ヨーロッパの多様な階層を包括できなかった。そこで雇用と関係なく、すべての人が社会保障制度に接近できるようにしようとすれば何が必要なのか、どんな戦略でこういう問題に接近しなければならないかなどを考えた。その過程で‘人々が明日、自身が何の仕事をするべきかを決定できるようにするには、すなわち未来を設計できるようにするには、最小限の所得がなければならない’という結論に到達した。仕事をしているか、または、どんな仕事をしているかに関係なく、すべての人に、自分がしたいこと、必要なことを選択できる‘能力’を与えることが必要だと見た。これがまさに‘基本所得’(Basic Income)だ。支給される資格としてどんな条件も賦課せずに年齢・職業などとも無関係に、すべての人に毎月一定の金額の現金基本所得を提供しようということだ。私たちの時代のプレカリアートたちが被っている人生の不安をなくしてあげることがまさに基本所得だ。明日と明後日、あるいは未来に所得が安定的に得られるという確信があれば人生の安全性を取り戻すはずだ。プレカリアートを克服する新しい進歩的な政治的企画が基本所得だ。基本所得が保障されれば個人の生活と時間を自ら統制でき、そうなれば未来に対してあまり不安に思わないことになる。基本所得を受ける人は一層 利他的になり、社会的責任感も増進されるという実際の証拠もある。

基本所得構想の現実性を巡り疑問を提起する人が多いが。

最初はこのアイディアを学者や政府官僚に話せば話にもならないという反応だったが、最近は基本所得を試みる所が順次増加している。初めはヨーロッパ国家や西欧国家を対象にしたものだったが、興味深いことに開発途上国で関心がより一層高まっている。ブラジルが良い事例だ。ブラジルでも1990年代初期には経済学者や政治家の全てが基本所得導入に懐疑的だった。しかし2004年議会を通過した後、初めは農村中心に制限的に実施され、ルーラが大統領になった後に都市地域にまで拡大した。女性と児童が主に恩恵を受けているが、今ブラジル国民5千万人が毎月基本所得を受け取っている。現在、アフリカのナミビアでも毎月30ドルずつ貧しい人々に基本所得を支給する実験が進行中だ。実験の結果、貧困と不平等が減り、子供たちの栄養欠乏が解消され学業達成度も高まったという。女性の社会的地位が高まり、社会的連帯も強化された。もちろん大小の経済的犯罪も明確に減少した。私たちが基本所得に進まなければならない状況はBIENが創設された1986年より今の方がさらに切実だ。根本的な不安定と慢性的な不確実性が支配する世界経済で、こういう不安定を既存の伝統的な公的社会保障制度だけでは解消できないためだ。不平等とそれにともなう社会的危険を緩和するには一定金額の再分配を提供するまた別のメカニズムを探さなければならない。基本所得がその一つの解決策だ。

労働柔軟化 世界で‘分配的正義’とは何か?

もっぱら社会・経済的に最も弱者である階層の利益を極大化することにより他の階層との格差を減らすことだけが分配と関連して‘公正な正義’に符合することだ。基本所得は慈善ではなく、一つの‘権利’として与えられなければならない。この権利はすべての個人が自身の要求を表現する声を出し、互いに連帯できる能力を含む。‘条件なき基本所得’が支給されれば、プレカリアートも人生の安定を取り戻し私たちの社会も元気になるだろう。

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原文: http://www.economyinsight.co.kr/news/articleView.html?idxno=289 訳J.S