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[パク・ノジャ コラム] 解放されたことなど あったのか?

登録:2010-08-16 11:33

原文入力:2010-08-15午後10:52:11(1798字)

パク・ノジャ ノルウェー オスロ国立大教授・韓国学

歴史に関心がある人ならば2010年8月を極めて特別に考えざるをえない。強制された "併合" の100周年であり、 "泥棒のように" やってきて結局 分断につながった "解放" の65周年であるためだ。
この両事件を記念する方式は、各自の理念的指向により異なる。例えば民族主義的指向の韓国元老知識人と、一部の日本穏健左派知識人らが最近「韓日併合条約が源泉無効」と共同で声明書を出した。当然に正しい話で、一世紀前に自国が犯した蛮行に対する恥を感じ贖罪しようとする日本知識人たちの連帯は非常に有難いが、この声明書を読みながら なぜか寂しさを感じるばかりだ。韓国の植民化が不法ならば、今 米国が大韓民国の軍事的協力まで受けながら進行しようとしているアフガンの事実上の植民化プロジェクトは果たして何なのか? 本当に韓国の独立闘士や、すでに100年前に "併合" の不法性を宣言した日本の初期社会主義者・無政府主義者などの反帝闘争を継続しようとするなら、すでに没落した日帝だけでなく今や没落の過程であらゆる必死のあがきを行っている米帝国までもとっちめることができなければならない。しかしそのようにするには韓国の元老たちはあまりにも穏健な側に属する。

民族主義より国家主義的思考がさらに強い国内極右陣営は、力がなく日帝から "併合" され、自力でなく米国・ソ連などの力で "解放" を迎えた過去の朝鮮と "60万 大軍" の軍事中進国であり産業大国の大韓民国を対照しながら、"我らの成功" を祝うことに余念がない。

果たしてそのとおりだ。100年前、日本が敷設した鉄道のために、土地を強制的に奪われた朝鮮農民らが絶望し自殺したりしたとすれば、今はポスコが建設しようとするインド オリッサ州製鉄所敷地のために、それまで暮らしてきた原住民たちの財産権侵害余地と強制移住が全インドの人権団体が注目する主要イシューとなった。100年前だったら、日本人管理者らの朝鮮労務者に対する暴力と暴言が問題になったりしたが、今は誇らしい(?) 大韓民国の企業家・管理者らが中国、広東省東莞市に進出し、そこで中国人労働者を暴行することにより、めったに見られない現地人の反外勢デモを触発したのだ。

役割転倒とでも言うか? 100年前に日帝資本が植民地朝鮮で資本主義世界体制を代表したとすれば、今は韓国資本らがインドや中国で国際的資本主義を代表しているということだ。しかし果たして、この役割転倒を喜ばなければならないだろうか? 賃金搾取に差別と暴力、暴言にさらされなければならない現地人の義憤を買いながら、韓国企業が果たして "新興市場攻略" で永遠に贅沢な暮らしを享受することができるのだろうか? 韓国企業家らのアジア・アフリカ人に対する態度を見れば、明治維新の時から渇望してきた "富国強兵" に成功したが結局、朝鮮と中国の民族主義を敵に回し崩壊した日帝の姿が浮び上がる。韓国管理者の暴言と暴力に苦しめられる中国人労働者が、韓国資本に対して持つことのできる感情が、100年前に朝鮮人が日本の暴力的巡査に対して持った感情と本当に大きく違うと思うのか?

 "解放" とは言うが、私たちが実は内面化された植民性からきちんと解放されたことはない。 "脱亜入欧" を宣言し、西欧に対する模倣と朝鮮・中国に対する暴力を兼行した日帝のように、英語熱風と未登録労働者に対する暴力的取り締まり・追放を併行する大韓民国は "富国強兵" に成功すればするほど文化的植民母国である英米圏に対する自発的模倣と隷属が激しくなるばかりだ。米国による韓半島南側の "解放" で、植民地エリートの隷属対象が変わっただけで、その内容や形態はそのまま残った。エリートだけでなく今は広範囲な中産層、庶民層にまでも内面化された植民的、我流帝国主義的性格がきちんと克服されてこそ私たちが名実共に解放を語れるはずだ。

パク・ノジャ ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/435188.html 訳J.S