北朝鮮はもはや統一を語らない。今年2月、北朝鮮は「敵対的二国家論」を党規約に盛り込んだ。北朝鮮が標榜してきた民族共助と統一の言語を自ら廃棄した宣言だった。北朝鮮は二国家を敵対の根拠とした。しかし、同じ言語で協力を設計することもできる。
南北は現在、それぞれの憲法と統治体系を持つ独立した主権国家として実在している。国連の193の加盟国は、互いを別個の主権国家として認め合いながらも、協力し、競争し、共存している。二つの国家が存在するという事実が、すなわち敵対を意味するわけではない。歴史には敵対から協力へ、協力から競争へと移行した無数の事例がある。敵対は固定された運命ではなく、選択の結果だ。金正恩(キム・ジョンウン)委員長はその選択において敵対を選んだ。我々は同じ現実の上で、協力を選ぶことができる。
恒常的な対決構図は軍事的緊張を持続させ、経済資源の集中的な消耗を伴う。国際的な孤立は、技術・資本・市場にアクセスする機会を遮断し、両社会とも経済的可能性を縮小させる構造的な結果をもたらす。
1989年の東ドイツの事例は、敵対路線が持つ構造的な限界をよく示している。エーリッヒ・ホーネッカー体制は、外部との交流を遮断することで体制の安定を維持しようとしたが、交流が蓄積されるにつれ、内部からの変化を求める声は結局、臨界点に達した。敵対と断絶は変化の速度を調整することはできても、両社会が共有する地理的・経済的現実そのものを変えることは難しい。
故金大中(キム・デジュン)元大統領の「太陽政策」は、交流と協力を通じて漸進的な変化を導き出すという戦略的原則を打ち立てた。その原則は今でも有効だ。変わったのは協力の根拠だ。太陽政策が同じ民族という特殊な関係を前提に交流と協力を推進したのに対し、今は二つの独立した主権国家が相互利益を根拠に協力する新しい方式が必要だ。民族を否定するのではなく、民族でなくとも協力できる普遍的な根拠を築くのだ。
本稿が提案するのは「実利的二国家論」だ。二つの主権国家が相互の経済的利益に基づき、協力関係を構築することが中心となる。このアプローチが既存の対北朝鮮論と区別される点は次の三つだ。
第一に、二つの主権国家の独立性を認める合理的な現実から出発する。敵対的二国家論が設定した枠組みを受け入れつつ、その関係の性格を敵対から実利的な共存へと転換しようと提案するものだ。
第二に、利益という言語は体制やイデオロギーを超えて機能する。開城(ケソン)工業団地の運営期間中、北朝鮮が得た外貨収入と韓国側企業の生産コストの削減は、イデオロギー的な論争とは無関係に、双方に実質的なインセンティブを提供した。経済的相互依存は、関係の安定性を高める構造的要因として働く。
第三に、北朝鮮自らが設定した二国家の枠組みを協力の根拠へと転換する。北朝鮮が二国家を宣言した以上、両国家間の実利的な協力は北朝鮮の宣言と矛盾しない。相手の論理に反論するのではなく、その枠組みの中で別の選択肢を提示するものだ。
北朝鮮の関心は韓国ではなく、米国に向けられている。第2次トランプ政権の対外戦略が中東とウクライナに集中する中、韓国はうっかりすれば朝鮮半島問題の当事者から傍観者へと追いやられる可能性がある。朝米交渉が本格化すればするほど、韓国の発言権はむしろ狭まっていく構造的な逆説がここにある。
では、韓国には何ができるのか。核とミサイル問題の解決を前提とした条件付きのアプローチはもはや有効ではない。核と安全保障の議題は国際外交の枠組みに委ねつつ、南北の間では利益に基づいた関係をまず築いていかなければならない。開城工業団地の再稼働、金剛山(クムガンサン)観光の再開といった経済協力の回復だけでなく、文化・芸術・スポーツ交流のように体制やイデオロギーを越えて機能する分野で接点を広げていく必要がある。韓国政府が協力の設計図を先に提示すること、それが朝鮮半島問題の能動的な行為者として立つ第一歩だ。
実利的な二国家論が現実で機能するためには、一つの原則が重要だ。協力の成果がどちらか一方に偏ることなく、両社会の実質的な生活に結びつくものでなければならない。利益が対等に分配されてこそ関係は持続し、持続する関係の中で信頼が生まれる。関係の未来は宣言によって強要されるものではなく、積み重ねによって形成されるものだ。
北朝鮮の敵対的二国家宣言が朝鮮半島の言説を変えることはできても、地理、経済、歴史が作り上げてきた現実そのものを変えることは難しい。今年第9回党大会で「二国家論」が公式化された今、逆説的にその枠組みの中で新たな関係の可能性を設計する余地が生まれた。南北がそれぞれ独立した主権国家であるという現実を認め、その上で相互利益を模索することが、今必要な出発点である。
敵対は選択だ。共存もまた選択だ。実利的な二国家論は、その選択のための設計だ。