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光復80周年、全国の「平和の少女像」に会う=韓国

登録:2025-08-12 09:18 修正:2025-08-12 09:47
光復80周年を前にした、全国各地の「平和の少女像」。全国に155ある少女像は、痛みの伴う歴史を記憶し、日本政府の責任を正確に究明し、二度と戦争と暴力による人間の尊厳の抹殺が繰り返されないようにとの同じ願いが込められている=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 一日のはじまりに市民が慌ただしく行き来する全羅南道の谷城(コクソン)レジャー文化センター前、風呂敷包みを抱えた「平和の少女像」が静かに立っている。日本軍に強制的に連れられて故郷を去る切ない状況を表現した少女像の指のさし示す先には、キル・ウォノクさんの書による文言が記されている。「私を忘れてしまったんですか?」

 光復80周年を前に、全国各地の日本軍「慰安婦」被害者の追悼碑「平和の少女像」をめぐった。生徒たちが木で作った慶尚南道山清(サンチョン)のガンジー学校、イ・オクソンさんが16歳の自身の肩に手をかけている姿を形象化した光州楊林洞(クァンジュ・ヤンニムドン)の「ペンギン村」、2015年の韓日慰安婦「拙速合意書」を踏みつけて堂々と立っている全羅北道の益山(イクサン)駅、強制徴用労働者像と並んで立っている大田(テジョン)の万歳路(マンセロ)広場など、直に対面した90体の少女像は多様な姿をしていた。女性家族部によると、韓国には現在、少女像が155体ある。建てられた時期も姿も異なるが、痛みの伴う歴史を記憶し、日本政府の責任を正確に究明することで、二度と戦争と暴力による人間の尊厳の抹殺が繰り返されないようにという、同じ願いが込められている。日本軍慰安婦被害者問題は2015年の韓日慰安婦「拙速合意」、2020年の正義記憶連帯の後援金横領問題、尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の「屈辱外交」などを経て、次第に人々の関心から遠ざかっていった。1992年から毎週水曜日、ソウル鍾路区(チョンノグ)の平和路の旧日本大使館前で続いてきた「定期水曜デモ」は、被害者の尊厳を踏みにじるヘイトスピーチと騒音を事とする妨害者の発生に伴って参加人員が大幅に減っており、その中に立つ少女像は三重の柵に囲われている。

 今年5月にはイ・オクソンさんが世を去り、政府に登録されている240人の日本軍慰安婦被害者のうち、生存者は今や6人のみとなっている。被害者たちは、光復から80年が過ぎてもなされていない日本政府の公式謝罪を今も待っている。

上列左から昌原の慶南教育庁第2庁舎、昌原午東洞の文化の道、咸安郡の咸安女子中学校、南海のパク・スギ公園、統営の南望山公園=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
上列左から光州広域市北区役所、光州広域市の光山文化芸術会館、羅州学生独立運動記念館、務安の中央公園、光州広域市のペンギン村=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
上列左から堤川義兵広場、清州のベティ公園、清州の青少年広場、公州の山城市場文化公園、忠州のクァナッコル商店街=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
上列左から木浦近代歴史館、霊光芸術の殿堂、瑞山市役所、ソウル江北区役所前、光明の光明洞窟前=ペク・ソア//ハンギョレ新聞社記者
上列左から麗水の李舜臣広場、群山の東国寺、青陽の韓国国土情報公社、ソウル龍山区の梨泰院広場、軍浦の堂井近隣公園=ペク・ソア//ハンギョレ新聞社記者
上列左から大田広域市の万歳路広場、束草の青草湖遊園地、江陵鏡浦の3・1運動記念公園、ソウル西大門区の大ヒョン文化公園、水原の京畿道議会=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社
ペク・ソア記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1212559.html韓国語原文入力:2025-08-11 07:00
訳D.K

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