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「時代が衰退する時、すべての傾向は主観的だ」【寄稿】=韓国

登録:2025-03-08 07:22 修正:2025-03-09 12:43
//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の親衛クーデターの陰謀が残した後遺症は大きい。弾劾を機に政治的得失を計算しながら繰り広げる蠢動(しゅんどう)が臨界値を超えたようだ。極右系の狂信的な宗教集団の集会が、尹大統領と与党「国民の力」の政治家たちの導きで、ファシスト結社のように暴動勢力化している。主な参加者たちは、長い権威主義の習俗に慣れ、民主的な政治文化を嫌う。政治地形の変化でもたらされた不利益が、ますます極右扇動に心酔させる。新しい世代の政治的ファンダム現象まで重なり、封印が解けたように未曾有の騒ぎが起きている。

 今回の騒動で第一に指摘すべきなのは、言葉の持つコミュニケーション力が消えた点だ。政争の場合、同じ言語を使いながらも、一方的な主張があるだけで意見交換は行われない。政治的見解によって言葉の論理も変わり、考え方も変わるため、立場が違えば話し合えば会うほど対立と緊張が高まり、敵対的に変わる。大半が偶然属するようになった集団だが、そのアイデンティティによって確証バイアスに陥る盲目性を持つ。「戒厳令」はこれまで独裁弾圧と殺人虐殺の恐怖感を醸し出す象徴語だったが、これを否定して「啓蒙」という言葉で詭弁を並べる。これは、韓国社会が武装軍隊の統制でつくられた秩序を強要された植民地治下の頃のように、戒厳軍の啓蒙統治を受けなければならないという主張だ。そのような街頭の放言を、最も厳密でなければならない憲法裁判所の弁論としてはばかることなく掲げる。

 第二に、コミュニケーションの低下と共に、信頼も消えた。信じられず、疑いが広がると、陰謀論が幅を利かせる。民主社会の中心となるのは選挙と投票制度だ。過去、独裁者が国民の意思と関係なく権力を振るうことができたのは、選挙と投票で任意に不法不正を働き、その結果を操作することができたからだ。今は、国民の支持を失い選挙で敗北すれば権力を失う。これが民主主義社会を支える根本である。

 しかし今、極右勢力は、そもそも保守の核心軸である選挙管理委員会、憲法裁判所、司法府を誹謗し、その撤廃に乗り出している。これらの機関が、以前とは違って常識と理性に基づいた合理と公正の中心軸の役割を果たすことに対する不満と排斥であろう。特に弾劾審判をめぐり憲法裁判所を狙った攻撃は、国家の根本を否定する内乱行為の延長だ。権威主義の郷愁に陥った守旧の政治家らは、あり得ない不正選挙論を掲げて社会を混乱させている。惑世誣民(世人を迷わして欺くこと)の手法で権力を勝ち取ることができるという愚かな考えから始まったものだ。

 第三に、コミュニケーションができなくなり、不信が募り、陰謀論が横行すると、やがて暴力につながるものだ。深夜に裁判所を襲撃する恐ろしい暴動が起きた。無差別な破壊行為と放火の試み、そして令状を発付した判事を探して建物の内部を荒らすという前代未聞の暴動だった。民主制度が正常に作動し、倫理が生きている社会で、それも是非を審判する司法府に対し、身勝手な暴動が躊躇なく行われた。堅固に見えた民主主義社会が、一瞬にして暴力暴動の野蛮社会に転落してしまったようだ。

 そのような暴徒に対し、尹大統領は弾劾審判廷の最終陳述で、「私の拘束過程で起こった出来事で困難な状況に置かれた青年たち」と庇った。尹大統領は一国の最高指導者だったという品格はおろか、正気の人格体ともいえない人物のようだ。街頭でも絶えず開かれる狂信的集会では、このような暴言と放言が続いている。彼らは根拠のない抵抗権を掲げている。このような事態に誰よりも大きな責任がある与党の議員たちは、むしろあちこちの集会を訪れ、憲法裁判所と司法府を破壊するよう煽っている。暴徒を盾に暴力で政権を取り戻そうとする彼らが、まさに内乱勢力である。その政権が夢見る権力とは盲目の武士が振り回す刃のようなものだ。

 第四に、品格を失った社会になった。尹大統領は「民主党が亡国の元凶で、反国家勢力であり、自分はその反国家勢力の妨害で国政運営がままならなかった被害者だ」と述べた。また「戒厳令を宣布したが、何も起きておらず」、「むしろ兵士たちが市民の攻撃を受けて負傷し」、「前国情院第1次長と陸軍特殊戦司令官が民主党議員にそそのかされ、(自分は)口に出したこともない主要人物に対する逮捕指示と国会議員を引きずり出せという指示を受けたと偽りの証言」をしたということだ。そのため、警告用の戒厳に過ぎなかったのに内乱とされて弾圧されていると主張している。

 昔は町で誰かがこのように滅茶苦茶なことを言い出せば、大人たちが叱りつけたものだ。いっときは大統領だった者が弾劾審判で見せ続けた嘘ととんでもない詭弁、そして部下たちに責任を押し付ける破廉恥な行動は、今更のことではない。さらに大きな問題は、尹大統領だけでなく、与党議員らの発言が一様にそっくりだという点だ。街頭の暴力的でとんでもない詭弁が党の公式な論評となり、さらに法廷の弁論になった。

 そのため、韓国が模範的な先進文明国と評価されていたことがむしろ恥ずかしいこととして返ってきた。ノーベル文学賞を受賞した作家のハン・ガンさんが私たちに伝えようとした言葉は、若い夜学教師パク・ヨンジュンさんが光州(クァンジュ)抗争で戒厳軍の攻撃で犠牲になる前の最後の夜に書いた日記の一部分だ。「神様、どうして私には良心があって、こんなに私を刺して痛めるのですか。私は生きたいです」。国民の代弁者であることを掲げる政治家たちが、良心はまだしも、恥を知り体面を保とうとする最小限の常識さえ持っていれば、そもそもこのような事態にはならなかっただろう。

 ゲーテは晩年の対話で「時代が衰退する時、すべての傾向は主観的だ。しかし、すべてのことが新しい時代のために成熟していく時は、すべての傾向が客観的だ」と述べた。(エドワード・カーの『歴史とは何か』から引用)。各自の主張を吐き出すだけの時代と、常識的な公論化が行われる時代の違いから興亡が分かれる。国を危機に陥れた妄想的な大統領を弾劾することでさえ理性と常識を裏切り、政派の守旧的思考に埋没し、詭弁を繰り返したり、狂信者の浅はかなお世辞に日和見主義的に便乗する政治家たちを制裁することができなければ、将来この国はどうなるだろうか。

//ハンギョレ新聞社
アン・ビョンウク|元真実・和解のための過去事整理委員長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1185710.html韓国語原文入力:2025-03-06 20:03
訳H.J

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