2000年初め、ハンギョレの記者は鎮海(チンヘ)のあるコーヒーショップで参戦軍人に尋ねた。「なぜこうして全部話してくださるんですか」。ベトナム戦争当時、駐ベトナム韓国軍憲兵隊の捜査係長として服務したその人は答えた。「息子がいま病気で苦しんでいるのですが、それがベトナムで私が犯した過ちのせいのような気がして」。捜査係長の証言は2000年6月、「ハンギョレ21」に「青龍旅団で良民虐殺を操作・隠蔽、元海兵憲兵隊捜査係長の証言…フォンニィ村事件、ベトコンの犯行として調書を取るよう指針下る」という記事で報じられた。
1999年から「ハンギョレ21」の報道を中心に、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺問題が公論化された。被害者の証言だけでなく、参戦軍人の勇気ある告白も続いた。上記の報道はそのような流れの中にあった。しかし、その記者も捜査係長も予想だにしなかっただろう。彼らが告白し報道したその「フォンニィ事件」が、20年後に法廷で取り上げられ、そこでこの記事が核心となる証拠として扱われることを。
ソウル中央地裁は1月17日、フォンニィ事件(1968年2月12日、ベトナム中部のクアンナム省に位置するフォンニィ村で韓国軍によってベトナム民間人70人余りが殺害された事件)の生存被害者、グエン・ティ・タンさんが起こした国家賠償訴訟で、原告勝訴の判決を言い渡した。2023年2月7日の一審に続き、被告大韓民国が控訴した二審でも再び被害者に軍配を上げたのだ。
記念碑的な判決だ。ベトナム戦争と関連して参戦国の民間人虐殺の責任を認めた判決は、韓国はもちろん世界的にも類例がない。民主化から40年も経っていない大韓民国で、さらに政府が虐殺を公式に否定している状況で、司法府が独立的に、良心に従って真実を判決した。誰かに大韓民国という共同体の「レベル」を問われたら、この判決を見せたい。判決文の一部にこうある。「人間としての尊厳を最高の価値とする韓国憲法の解釈上…この事件の攻撃のように多数の非武装の民間人を対象とする故意で無差別な殺傷行為を正当化することはできない」
しかし、裁判の過程で被告席に座った大韓民国の姿勢は醜悪だった。国家賠償訴訟における被告大韓民国の主張は、この事案に対する政府の公式な立場だ。慎重かつ節制されていなければならないのに、大韓民国は法の技術者が使いうるテクニックを総動員した。8歳の少女が腹部に銃傷を負い、家族が皆殺しになった。その苦しめられた被害者に向かって「ベトナム人は金もないはずなのにどうやって韓国の弁護士を雇ったのか」、「経緯と意図が不穏だ」と皮肉を言った。客観的証拠を前にしても一貫して知らぬふりをし、あきれた法理を持ち出した。裁判官すらも「主張を後押しする論文や判例はあるのか」と何度も叱責したほどだ。多くの人々の死を前にして言ってはならない主張も述べた。「もしベトナムの被害者9千人余りが全員訴訟を起こしたら、3600億ウォンほどの財政負担が生じるが、この負担は後世を生きていく韓国国民に帰属するのです」
退役軍人を利用した主張は醜悪の極みだった。大韓民国が控訴審で判決を覆すためには、先に言及した捜査係長の証言が書かれた記事を何とかして揺さぶらなければならなかった。これに対し捜査係長の陳述書が新しい証拠として提出された。「隠蔽または覆い隠せという上部の指示があったという発言は事実ではない」、「本人と関係のない記者の推理」だという陳述書。
捜査係長は2000年のインタビューで「真相を明らかにしようと勇気を持って対処できなかったことが悔やまれ、罪悪感を抱いている」と語った。「自分の家族がもしもあんなふうに死んだなら、と相手の立場に立って考えなきゃならないのに」と嘆いてもいた。被告大韓民国は1968年、捜査係長に、フォンニィ事件をベトコンの犯行に見せかけるよう操作せよと不当な命令を下した。その不当な命令に従った捜査係長は、生涯罪悪感にとらわれて暮らした。自分と同じように海兵隊の将校の道に進んだ息子が若くして大病をわずらうと、自分の過ちのせいだという罪の意識に苛まれ、真実を告白した。残念なことに、海兵隊少佐だった捜査係長の息子は、2000年を越すことができず殉職した。ところが、国家はその軍人に謝罪するどころか、2024年に再び「国家に有利な文書」を作成せよと要求した。戦争と虐殺は終わったのか。不当な命令と苦しみの服従は終わったのか。
控訴審はこのような被告大韓民国の行動を決然と批判した。判決は、2000年の記事が捜査係長の積極的な協力のもとで作成され、その後、何の反論も訂正要求もなかったことなどを挙げ、2024年の陳述書は信ぴょう性がないと判断した。さらに判決は、被告大韓民国は2024年の陳述書が虚偽だということを知っていたはずであり、故意に虚偽の陳述書を裁判所に証拠として提出したのは、もう一度「真相を意図的に隠蔽する行為」をしたものだと評した。1968年のベトナムでの隠蔽が2024年の韓国法廷でも続いていると、ぴしゃりと指摘したのだ。
暴力がいつでも社会を覆いうるということを痛感する今日この頃だ。この判決がすべての公務員、特に軍人の教育資料として活用されることを願う。違法な公権力の行使は、地域と時間を越えてついには責任を取らされることになるということ、真実を隠蔽するための術などは結局のところ破綻するということを絶えず刻みつけてこそ、暴力は防げる。この判決が確定したら、国防部の責任ある誰かが必ず捜査係長を訪ねて謝罪し、2000年の勇気を公に評価することを願う。記念碑的な判決だけでなく、その判決を防ぐために醜悪な弁論をおこなった現在の大韓民国の姿勢をも、教育資料には記さなければならない。その醜さを克服する過程こそが、私たちの共同体のもう一つの「レベル」だ。
イム・ジェソン|弁護士・ベトナム戦争民間人虐殺被害者代理人