16~17日の韓米高官によるブリーフィングを通じて、18日に米大統領の別荘であるキャンプデービッドで開かれる韓米日首脳会談で導き出される合意内容の大枠が明らかになった。ジョー・バイデン米大統領が「根本的変化」と述べたように、今回の首脳会談は第2次世界大戦以来70年余り続いてきた東アジアの安全保障秩序に形容しがたい大きな変化をもたらすものとみられる。この合意が「東アジア版北大西洋条約機構(NATO)」の創設のような集団安全保障体創設への出発点になる可能性もある。
韓米日3カ国は今回の首脳会談を通じて、軍事分野だけでなく経済安全保障、気候変動、人道支援、先端技術を含む広範囲な領域における連携の強化を宣言する。また「キャンプデービッド原則」という別途の文書を通じて、今回の会談で約束した事項を不可逆なものにする連携の「制度化」も試みる。
合意内容の中で最も目を引くのは、安全保障分野における連携の強化だ。3カ国は首脳や外相、国防相、安全保障担当高官など国家安全保障を取り上げる主要当局者間の協議を定例化し、彼らの間に「ホットライン」を開設することになる。このような多層的な意思疎通の枠組みと「ホットライン」を通じて、3カ国国は危機状況で「互いに対話し関与」する予定だ。また、3カ国が参加する共同訓練も定例化する。英紙フィナンシャルタイムズはこのような点を挙げ、キャンプデービッドで行われる今回の決定を「3カ国の歴史的合意」だと表現した。
韓国大統領室は、3カ国が出す今回の合意により韓日が同盟になるわけではないと強調した。大統領室高官は「同盟と言えば、一方が攻撃された時に他方が参戦する関係だが、韓日はそのような同盟関係ではない」と述べた。しかし、今回の合意で「特定の対象に対して有機的に必要な情報を共有し、3カ国が安全保障上の利益に直結する問題だと合意した時には協力」できるようになり、「三角安全保障協力体制と言える」と語った。
3カ国が18日に出す合意文で最も議論を呼ぶものとみられる内容は、危機状況が発生した際、各国が相手国と「互いに対話し関与する」という部分だ。これはNATO憲章第4条の「(一国の)安全保障が脅かされた場合は、共に協議する」という文言を連想させる。NATOは同条項のすぐ後ろに、「一国に対する攻撃を全体に対する攻撃とみなし、共同対応する」という集団安全保障条項(第5章)を置いている。そのような意味で、今回の合意は今後の東アジア版NATO創設を念頭に置いた初の具体的な動きといえる。
欧州とは違い、東アジアでNATOのような集団安全保障体制が制度化されなかったのは、協力の「基本軸」となるべき韓国と日本の歴史問題をめぐる軋轢と、平和憲法の制約のためだった。韓国は1968年1月、キム・シンジョによる大統領府襲撃事件と北朝鮮のプエブロ号拿捕などの大きな安全保障危機を経験した後、NATOと類似した集団安全保障機構「アジア太平洋条約機構(APATO)」の創設を試みたが、失敗に終わった。ベトナム戦争によって国内で反戦運動が沸き起こっていた米国と、平和憲法第9条の制約下に置かれていた日本が同意しなかったためだ。1972年2月、リチャード・ニクソン大統領の中国訪問を機に米国が対中関与政策に乗り出したことで、アジア版NATOの構想は自然に消滅した。
変化が始まったのは、中国の浮上が具体化した2010年代半ばからだった。米国はアジア版NATOの生成を妨げてきた二つの要素、つまり歴史問題をめぐる韓日の軋轢と日本の平和憲法という制約を一つずつ解体してきた。韓日を和解させるため、韓国に外交的圧力をかける一方、日本の再軍備を支持した。米国は昨年12月、日本が朝中に対する予防的先制打撃能力を意味する「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有を閣議決定したことを熱烈に歓迎した。尹錫悦(ユン・ソクヨル) 大統領が3月、韓日協力を制約してきた最後の障害物である強制動員被害者賠償判決に対して一方的な「譲歩案」を示した時も同じだった。