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SMエンタの「アイドルシステム」、K-POP世界進出の道開いた(1)

登録:2023-03-22 06:45 修正:2023-03-22 09:45
イ・スマン前SMエンターテインメント総括プロデューサー=SMエンターテインメント提供//ハンギョレ新聞社

 最近、国内最大のK-POP芸能プロダクション「SMエンターテインメント」の設立者であり、筆頭株主のイ・スマン氏と会社経営陣の経営権争いが話題になった。ライバル会社のHYBEとカカオまでこの争いに加わり、K-POP業界に大きな変化が起きる見通しだ。イ・スマン総括プロデューサーは1990年代、芸能プロダクションが主導するK-POPアイドルシステムを完成した人物。約30年間にわたり、国内最大の芸能プロダクションを率いたイ氏がK-POPの歴史に残した足跡を考えると、今回の紛争は様々な意味を持つ。

 1990年代、韓国大衆音楽界の新たな章を開いたのは「ソテジワアイドゥル(ソ・テジと仲間たち)」だった。ソテジワアイドゥルは1992年に「ナン・アラヨ(僕は知っている)」でデビューし、引退を発表した1996年1月まで10代の「文化大統領」として君臨し、様々なシンドロームを引き起こした。特にバラードとトロット(韓国の大衆歌謡、韓国演歌とも呼ばれる)中心だった韓国の大衆音楽界でダンスとラップ、ヒップホップ、ヘビーメタルを融合させた音楽で旋風を巻き起こし、音楽の主流を変えた。10代の青少年が最も重要な消費者集団に浮上したのも大きな変化だった。

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10代市場を席巻したH.O.T

 ソテジワアイドゥルが1996年に突然引退してから「ティーンのカリスマ」の座はしばらく空いていた。その時、チャンスをつかんだのがイ・スマン氏だった。イ氏は1989年にSM企画を創業し、「ヒョンジニョングァワワ(ヒョン・ジニョンとワワ)」、ハン・ドンジュン、キム・グァンジン、J&Jなどを世に出し、これを基盤に1995年、SMエンターテインメントを設立したばかりだった。イ氏は以前とは違うシステムから生まれたアイドルグループを披露した。そして彼らはあっという間にティーンのカリスマの座を引き継いだ。ほかでもないH.O.Tの登場だった。

 H.O.Tは現在の芸能プロダクションによるアイドルシステムの原型だった。緻密な企画によって役割を割り当てられたメンバーで構成されている。メインボーカル、ダンス担当、ヒップホップスタイルのラップ担当、テレビ番組でトークを主導するバライエティ担当など、それぞれの役割に合わせてメンバーが選ばれた。何より10代をターゲットにしていた。ソ・テジが立証してくれた市場があったからだ。徹底的に10代が喜びそうなファッションを貫き、メンバーも10代後半から20代前半だった。

 舞台がパフォーマンス中心に変わったことで、芸能プロダクションの重要性がさらに高まった。以前にもダンスと歌がうまい人たちが歌手に選ばれるケースは多かった。クラブで踊っている時に、芸能プロダクション関係者の目に留まり、デビューするケースも珍しくなかった。しかし、メンバー個人の力に頼る舞台ではなかった。パフォーマンス中心に舞台を構成するためには、多くのメンバーが完璧に呼吸を合わせなければならなかった。練習と訓練を繰り返す長い過程が必要だった。SMエンターテインメントはこのような作業を一つのシステムとして作り上げた。

 アイドルシステムで訓練が重要なのは、前世代の歌手の限界を越えるためだった。1990年代に登場した多くのグループは、ダンスとパフォーマンスに中心を置いているため、歌唱力が問題になる場合も多かった。「踊れるだけで歌手といえるのか」という批判が高まった。芸能プロダクションは一層競争力のある「商品」を世に送るために、より多くの練習と訓練を行う体系的なシステムを築いた。その過程でアイドルのダンスと歌の実力が大きく向上し、現在K-POPの競争力の根幹となった。大韓民国の経済発展の原動力である圧縮成長の秘訣がアイドルシステムにも導入された。

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収益性の危機を迎えた2000年代

 2000年代に入って韓国の大衆音楽界は、アイドルシステムを初めて導入したイ氏のSMエンターテインメント、歌手パク・ジニョンが設立したJYPエンターテインメント(1996年設立)、ソテジワアイドゥルのメンバー、ヤン・ヒョンソクが設立したYGエンターテインメント(1998年設立)の3大芸能プロダクションを中心に回っていた。これら3大芸能プロダクションが他の芸能プロダクションと区分されたのは、作詞、作曲、振付などコンテンツの創作機能のかなりの部分をプロダクションの生産組織に内部化した点にある。3社には代表作曲家であるユ・ヨンジン(SM)、パク・ジニョン(JYP)、テディ(YG)が代表や理事などとして在職していた。また、多様な作曲家と編曲者、録音エンジニア、マネージャー、振付師、ファッションコーディネーター、デザイナーなどを抱えるインハウスシステムに基づき、芸能プロダクション別に独自色を持った音楽とアイドルグループを作り上げた。

 インハウスシステムは規模の経済効果でコンテンツ制作の効率性を高めた。その芸能プロダクションならではのスタイルを市場に示すことで、競争でも有利な位置を占めることができた。しかし、このようなシステムを維持するためには、市場が拡大し続けなければならない。芸能プロダクションの代表グループがしばらく活動を休止している間に、他のアイドルが活動し、同時に次にデビューするグループが出撃の準備を整えてこそ会社が順調に回る。この歯車が狂うと、内部人材の増加が企業に負担になる。

(2に続く)

キム・ユンジ|韓国輸出入銀行海外経済研究所首席研究員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/1084601.html韓国語原文入力:2023-03-2200:21
訳H.J

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