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ある異邦人の痛ましい帰郷

登録:2019-10-12 10:14 修正:2020-07-23 08:32
ティエルの最後の荷づくりをしていた友達がそっと近づいてティエルの手をしっかり握っている//ハンギョレ新聞社

 「こんなにたくさんの人々が私を助けてくれるとは思いもしませんでした。身に染みるほどありがたいその気持ちを、そっくり抱いて故郷に帰ります」

 それぞれ異なる千万の人生が広がるソウル。アパートが連なるある町の路地の小さなワンルームの家で、ティエル(仮名)に会った。「コリアンドリーム」を抱いて韓国行きを敢行した多くの移住労働者たちのように、2001年、彼女も故国に残った家族とのより良い明日を夢見て人生の第2章を開いた。しかし今、ティエルは病気の体で帰郷を準備している。

 未登録移住労働者だったティエルは、これ以上痛みが耐えられなくなるほどになってやっと友達と病院を訪れ、子宮頚部がんステージ4の診断を受けた。医療陣は、抗がん治療を受ければ期待できる余生は2年、治療を放棄した場合は1年程度と見た。希望を失わなかったので、病症だけを考えるなら韓国で治療を受ける方がましだった。しかし、今も工場で3交代で働く仲間たちが、睡眠時間を割いて無理して彼女の面倒を見ており、治療を始めればかかる費用も負担できない状況で、最善を選択することは困難だったのだろう。ティエルは帰国を選んだ。

 韓国に到着したティエルが、この巨大な都市に跡も残さず浸透したように、彼女の旅立ちも日の出とともに消える朝露のようなものだろう。しかし、ザアカイ神父は彼女をそのように見送ることはできなかった。ザアカイ神父は、地域の様々な社会的弱者やマイノリティたちに奉仕する聖公会の龍山ナヌム(分かち合い)の家の院長司祭だ。仕事はあふれるほどだが財政はいつも足りず、団体は活動家までも減らしている状況であったし、コミュニティの中にはティエルのほかに他の患者たちもいた。

3交代勤務のなか睡眠時間を割いてティエルの世話をしている友達が彼女のようすをうかがっている//ハンギョレ新聞社

 しかし、ザアカイ神父はいろいろと悩んだ末に、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)にティエルの話を慎重に取り上げた。彼女が帰る本国は韓国に比べて医療環境が非常に悪い所なので、彼女のために最大限多くのお金を集め渡すつもりだと、それすらなければ本国で彼女が迎える命の最期の期間はもっとつらいだろうと。ティエルを保護するため、本名や国籍、正確な年齢も明らかにしなかった。しかし、話はシェアされてコメントが続いた。顔も知らない異邦人の安らぎを望む人々の思いが集まった。

 ティエルを訪ねた日、彼女は友人らに助けてもらいながら最後の荷物をまとめていた。韓国での暮らしは彼女にどのように記憶されるだろうか。彼女に何が残っただろうか。それでも彼女が故郷まで持っていきたい最も大切な何かが一つでもあるだろうか。キャリーバッグに衣類などこまごました生活道具だけが一つひとつ入れられていくのを見ながら、尋ねてみた。「韓国で出会った『人たち』」だと、ティエルは答えた。今彼女のそばで守ってくれる友達や龍山ナヌムの家のファミリー、顔も見たことのない自分のために気持ちを集めてくれた多くの韓国の人々を一人ひとり数えながら、ティエルは泣いた。手を休めてベッドに横になった彼女をなぐさめていた友人が、ティエルの手をしっかり握った。

 ティエルが直面した状況を初めて知った9月のある日、ザアカイ神父は「力のない人々の暮らしと権利はいつも後に押しやられる」と残念がった。しかし、「私たちは『今まさにここで』私たちの暮らしと権利を守り抜く」と立ち上がった彼に、多くの人々が手を差し出して力を添えた。もっと大きな“私たち”に快くなってくれた人々に、ティエルとザアカイ父は心の底から感謝の気持ちを伝えている。今日差し出したあなたの手のぬくもりが、人々の心に火種として移り、いつか人生のある瞬間に再びあなたと出会うことを心から祈りながら。

イ・ジョンア記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/912848.html韓国語原文入力:2019-10-11 10:56
訳C.M

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