原文入力:2009-10-25午後10:10:32
安重根義挙 100周年
殉国した旅順監獄 独房 東洋平和の情熱ものさびしく
パク・ミンヒ記者
←安重根義士のハルビン義挙100周年をむかえ25日午前、中国,旅順国際抗日烈士記念館を訪ねた安重根義士記念事業会,丹齋申采浩先生記念事業会など抗日独立活動家団体協議会会員たちが安義士の胸像に花を捧げている。 旅順/連合ニュース
100年前にも10月末のハルビンの風はこのように冷たかったのだろうか?
1909年10月26日午前9時30分、中国黒龍江省ハルビン駅を揺るがした7発の銃声、倒れた伊藤博文、そして捕まった30才の朝鮮青年“コレア ウラ”(‘大韓万歳’のロシア語)の叫び、そこに大韓義軍参謀中将として独立戦争を遂行中の大韓国人 安重根が立っていた。
“東洋平和を守るために伊藤を狙撃した”と明らかにし、結局それによって命を差し出さなければならなかった安重根が呼び覚まそうとした‘アジアの平和で同等な共存’の精神はハルビン義挙100周年をむかえた今日、より一層大きな響きとして迫る。
安義士が義挙に成功した後、捕まり144日間閉じ込められ殉国した旅順監獄。去る21日に訪ねたこちらではまだ安義士の明澄な生き様を見せる痕跡がものさびしく大事に保管されていた。4mの高さの赤い塀で囲まれた巨大な監獄の片隅に鉄格子で包囲された赤いレンガ建物の独房には安義士が最後の瞬間まで<東洋平和論>執筆に集中していた現場がそのまま残っている。日本を中心に韓国と中国の犠牲を強要する伊藤の‘極東平和論’に対抗し、韓・中・日が同等に平和と発展を成し遂げることを夢見た彼の‘東洋平和論’は現在でも相変らず有効な‘未来の設計図’だ。
中国の土地にある安義士の痕跡は最近中国政府が強調する‘中華民族の団結’に埋められ薄くなっている。100年前の義挙現場であるハルビン駅プラットホームには安義士が銃を撃った地点を示す三角形と、伊藤が立っていた地点を知らせる四角が謎ときのようなタイルで表示されているだけで、当時の義挙を知らせる字句や表示板もない。2006年からわが方は義挙を知らせる表示板をたてようと要請してきたが、中国はまだ許可を出さずにいる。安義士が同志ウ・ドクスン,ユ・ドンハと挙事計画を検討したハルビン公園の一角にも安重根の詩の一節から取ってきた青草塘と硯池という字句が彫られた小さな石碑が立っているだけで義挙の内容は見当たらない。
去る21日、ハルビン社会科学院主催で開かれた安重根関連討論会は韓国言論の取材が封鎖され、25日に開く予定だった旅順監獄内の抗日烈士記念館開館式も中国当局の不許可で開催できなかった。安重根を巡る現在の微妙な緊張は彼が100年前に出した韓・中・日平和的共存の呼び掛けが相変らず切実であることを示す逆説的象徴だ。
シン・ウニョン安重根義士記念事業会責任研究員は「安義士は近代以後、日本人たちに初めて新しい教えを与えた韓国人であり、彼の偉業が現在でも韓国と中国,日本の全てに和解と共存の教えを与えている」と強調した。ソ・ミョンフン ハルビン朝鮮民族事業促進会名誉会長も「‘韓国だけの安重根’ではなく‘世界の英雄,アジアの英雄’として韓国,北韓,中国,日本,ロシアの学者らまで参加し安重根の思想を研究しなければならない」と話した。
ハルビン,旅順/パク・ミンヒ特派員minggu@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/383816.html 訳J.S