ヤン・スンテ元最高裁長官の逮捕前と後は異なる世界だ。二人の前・元大統領を断罪し「最終審判者」を自任してきた裁判所も、もはや審判の対象になり得るという当然の命題を初めて確認することになった。わずか1年4カ月前に退いた最高裁長官が、個人の不正でもない、司法権独立の核心である裁判と裁判官の人事を侵害したという重い容疑で逮捕された点も、重ねて考えなければならない。法曹界では「今日の逮捕は終りではなく、司法改革の第一歩にならなければならない」とし、この点を裁判所全体が重く受け止めるべきだと指摘した。
キム・ミョンス最高裁長官は、前任最高裁長官の拘束7時間後の24日午前9時頃に出勤し、2回も頭を下げて謝罪した。彼は「非常に惨たんたる気持ちで恥ずかしい」と語った。続いて「ただ、私をはじめ司法府の構成員全員は各自のポストで与えられた役割を遂行する。それだけが私たちが困難を打開する唯一の道であり、国民の期待に応える最小限のものと信じているからだ」と明らかにした。
裁判所の構成員たちは概して冷静に逮捕を受け入れながらも、「この程度で十分」という認識を警戒した。ある判事は「前最高裁長官の拘束裁判を裁判所自ら認めるほどなら、証拠がかなり確保されたのではないか。検察捜査に不満を持った裁判官らがいるが、一部のごく少数なので内部の葛藤に広がる状況ではない」と伝えた。別の判事は、「個人の逸脱ではなく、最高裁長官として行なった公的な活動が犯罪となった。かつてなかった恥ずべき歴史として残ることになったが、結局は司法府の反省のきっかけになるだろう」と見通した。また別の判事は「大韓民国の公職社会でもう戻れない変化が始まった」と意味づけし、「ヤン・スンテの最高裁に協力した判事たちに対しても、同情論ではなく裁判独立という公的価値から見て調査しなければならない」と指摘した。追加懲戒や国会の弾劾訴追が必要だということだ。
外部の政治権力に対する屈従と抵抗の司法史が、今回の事件を契機に「帝王的最高裁長官」の下での司法官僚化という内部の闘いに変わったという意味もある。民主社会のための弁護士会(民弁)は同日「ヤン前最高裁長官の逮捕は終わりではなく始まり」だと強調した。民弁は論評で「司法府の恥辱の日ではなく、裁判所自ら国民の信頼を回復する第一歩を踏み出す日として記憶されることを願う。数十年形成されてきた官僚的司法行政構造の弊害を断ち切る真の制度改革に協力せよ」と求めた。大韓弁護士協会も「司法史のもっとも恥辱的な事件の一つとして記録されるだろう」とし、これを触発した構造的原因である司法制度の前向きな改革を求めた。
延世大学法学専門大学院のイ・ジョンス教授は、「裁判所事務総局を中心に3千人の裁判官人事を決定するトップに最高裁長官がいる。こうした人事掌握が数十年にわたって積み重なり、政界との結託や裁判取引、国民の司法不信につながった」とし、抜本的な改革を注文した。キム最高裁長官が、裁判官の人事改革など本人が約束した「権限下ろし」に対する考えを示す時だという注文だ。最高裁長官の権限を分散する裁判所組織法改正案などを論議中の国会司法改革特別委員会の肩にも、いっそう重い荷が背負わされた。