2000年代の韓日関係の“黄金期”の礎石を築いた「21世紀新しい韓日パートナーシップ共同宣言」(パートナーシップ宣言)20周年をむかえ、9日東京で記念シンポジウムが開かれた。安倍晋三首相は予想通り、パートナーシップ宣言に含まれた「過去を直視」の精神より「未来指向的な関係構築」を強調した。
安倍首相は、シンポジウムの挨拶で「日韓両国は、隣国なのでいろいろ難しい課題がある。パートナーシップ宣言が発表された時、私は若い議員で政権に圧力を加える側だった」として「だが、こうした世論と圧力を克服して最高指導者が決断したので、両国関係が未来指向的になり、前進することができた」と述べた。彼はまた「日韓両国の若者たちの相互交流を通じて、未来指向的な関係を構築したい。日韓関係の発展のために文在寅(ムン・ジェイン)大統領と共に努力したい」と付け加えた。
パートナーシップ宣言は、1998年10月8日に金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相が発表した宣言だ。この宣言で小渕首相は、1995年8月の村山談話の精神を受け継いで「日本の植民地支配で韓国国民に多大な損害と苦痛を抱かせたという歴史的事実を受け入れて謝罪」し、金大中大統領は、日本が「平和憲法の下で専守防衛および非核3原則などを通して国際社会の平和と繁栄のために遂行してきた役割」を高く評価した。パートナーシップ宣言が可能だった二本の軸は、日本の謙虚な「歴史認識」と戦後日本の復興を導いた「平和憲法」だったということだ。
パートナーシップ宣言には、両国間の文化交流に関する内容も含まれている。その後、映画『ラブレター』など日本の大衆文化が韓国に開放され始め、韓国の大衆文化も日本に進出し、2000年代には華麗な「韓流」の花を咲かせることができた。しかし、安倍首相は2015年8月の「安倍談話」で、日本がこれ以上過去の問題に関連して謝罪しないと明らかにし、日本の軍隊保有と交戦権を否定した平和憲法の改定を推進中だ。パートナーシップ宣言の二本の軸が崩れたわけだ。
1998年当時外相だった高村正彦自民党前副総裁も「歴史の直視」には目をつぶり、協力強化だけを強調した。彼はこの日の基調演説で「過去は変えられないが、未来は変えることができる。過去の問題が過度に焦点になってはならない」と話した。高村前副総裁はさらに、日本政府は以前には「特定国家に対して文書で謝った前例がなかった。当時日本国内で反対世論が強かったが、小渕首相が文書で謝罪するという決断を下した」として「金大中大統領はパートナーシップ宣言の作成過程で『一度でも日本が(植民地支配を)文書で謝りなさい。謝ればその後は過去の問題を取り上げない』という意向を表した」と強調した。また、「パートナーシップ宣言当日、金大中大統領が(小渕首相に) 『今後韓国政府は過去の問題に対して触れない。言論の自由はあるが、韓国政府と与党内で(起きることには)私が責任を負う』と発言した」とも主張した。イ・スフン駐日韓国大使は「金大中-小渕共同宣言で、韓日両国は過去を直視し未来に向かって共に出て行く転機を作った」として「両国は最も近い隣国関係なので難しい問題が発生することは避けられない。だが、賢明に管理していき関係を発展させる必要がある」と話した。
しかし、韓日関係の展望は暗たんとしている。最近、文在寅大統領は日本軍「慰安婦」問題に対する12・28合意の結果である「和解・癒やし財団」を解散する方針を示唆した。強制徴用被害者が日本企業を相手に出した訴訟に対して、韓国最高裁(大法院)が近い将来下す判決も韓日関係と関連して注目されている。