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北側 捕虜になった兄…兄を探して入隊した弟…白髪の邂逅

登録:2009-09-28 10:50

原文入力:2009-09-27午後06:55:59
映画‘太極旗翻して(日本公開タイトルはブラザーフッド)’状況が現実に
北側 兄イ・クェソク氏,南側 弟が持ってきた酒を薦めると
“母を忘れたことはなかった…両親の霊前に差し上げろ”

ソン・ウォンジェ記者

59年前、国軍に徴集され失踪した兄、兄を探そうと志願入隊し12年服務した弟が26~27日、感激の中で出会った。しかし切なく長男を待っていた母親はすでに亡くなったという弟の遅れた訃告に北側の長男は悲痛な涙をこぼした。
26日2年ぶりに金剛山で再開された南北離散家族対面行事で北側にいる‘国軍捕虜’イ・クェソク(79・写真左側)氏は南側の弟ジョンホ(76・右側),ジョンス(69)氏と59年ぶりに対面した。クェソク氏は1950年6月25日戦争が起きるや徴集され失踪した。弟ジョンホ氏は兄を探すと言って52年に志願入隊し12年間軍生活をした後、63年に兄の死亡通知書を受け取り除隊した。兄弟を探そうと戦場に出た家族の話を描いた映画<太極旗翻して>と同じ状況がここに展開したわけだ。

兄クェソク氏は26日の団体対面で「13年前に母親が亡くなった」というジョンホ氏の話に「私は母を一時も忘れなかった」として目がしらを赤くした。クェソク氏は27日の個別対面では弟が準備してきた酒も拒み「ご両親の霊前に差し上げろ」と言ったとジョンホ氏は伝えた。クェソク氏はまた弟たちが持ってきた母親と父親の生前の写真をしっかり持って穴があくほどに見つめ何の言葉もなくハンカチで目じりを拭った。弟は「この酒を持っていき必ず母親に兄が生きておられると話す」と言い、老いた兄の手を固く握り放さなかった。

ジョンホ氏をはじめとする南側離散家族訪問団97人と北側に住む家族228人の対面がなされた金剛山は26~27日相次ぎ涙であふれた。人民軍の徴兵を逃れ1・4後退の時に38度線を越えたキム・ギソン(82)氏は団体対面で故郷の平安南道鎭南浦に置いてきた息子ジョンヒョン(63),娘スネ(61)氏と会った。別れた当時、四才と二才だった息子と娘はいつのまにか頭の白い老年になった。キム氏は「申し訳ない。避難する時、連れていけなくて申し訳ない。その話の他には言葉がない」として首をうな垂れた。

←南北離散家族対面2日目の27日、金剛山ホテルで個別対面の後の昼食席で南側キム・ウォンスク(左側)氏が箸で息子の口に食べ物をいれている。金剛山/写真共同取材団

ユン・キダル(89)氏も車椅子に乗り北の息子スンソン(69)氏と娘オクソン(67),ギュファン(64)氏に会った。二番目の娘、オクソン氏が父親の手を強く掴んだためにユン氏の手からは血まで流れた。2ヶ月前、大きな手術を受けても北韓を訪問したユン氏は「私はお前たちに会うために今まで生きていたようなものだ。明日死んでも心残りはない」と話した。しかしまもなく「母親はお父さんだけを待っていたが1965年に突然倒れて亡くなった」という子供たちの話にとうとう首を垂れて号泣した。

南側離散家族対面団は26日の団体対面と27日の個別対面に続き、28日午前にはお別れ対面をし、再会の約束ない離別の帰還となる。27日午後、予定された野外対面は悪天候のために室内対面行事に代替された。引き続き29日から来月1日までは北側離散家族訪問団99人が南側に住む家族449人と金剛山で会う。

南側訪問団の対面行事に参加しようと金剛山に来たチャン・ジェオン北側朝鮮赤十字社中央委員長は初日の26日、ユ・ジョンハ大韓赤十字社総裁と会い「今回の対面は北が特別に好意を施したものだ。これに対して南でも相応する好意を表わしてはどうか」と話したとユ総裁が27日伝えた。

ユ総裁はこの日記者らと会い「北側が米や肥料問題に具体的に言及することはなかった」として「赤十字としてできることはいつでもするが(米・肥料支援のような)国民の税金で大きな金がかかる問題は当局間で決めなければならない」と付け加えた。北側が対北支援の必要性を間接的に表したが、米・肥料などの大規模支援は当局間協議を経なければならないという既存態度を守ったということだ。

金剛山/共同取材団,ソン・ウォンジェ記者wonje@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/378946.html 訳J.S