「板門店(パンムンジョム)の照明をすべて消してしまった歓送公演、互いの信頼なしには不可能だったろう」
27日、板門店南側地域の平和の家を舞台に繰り広げられた12時間の“ドラマ”の後日談が流れ始めた。大統領府関係者は29日、記者団と会い「板門店という所は、都会のまん中ではないので、灯りを消せば真っ暗だ。南と北、互いによく知らない人が交わった空間で、灯りをすべて消すということは難しかった。灯りが消えた時、胸がじんとなり、平和の家の前庭は南と北が一つになる雰囲気だった」と回想した。
公演に先立って開かれた晩餐は、一言で言えば「一家親戚の宴会のようだった」と大統領府高位関係者は伝えた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領と金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長の公式随行員を含め、晩餐参席者が互いを紹介して酒を薦め合った。この関係者は「両首脳に酒杯が集まる雰囲気であり、そうした点を勘案して少しずつ注いだとは言え、文大統領も金委員長も(酒を)飲み干すのに手を焼いただろう」と話した。別の関係者は「どんな国賓晩餐より自由に話が交わされ、酒盃を合わせて酒を注ぎ合い、名乗り合った」として「金委員長は酒が強そうではなかったが、とても多く飲まれていたと思う。李雪主(リ・ソルジュ)女史が飲んだかは見なかったが、金与正(キム・ヨジョン)党中央委第1副部長は酒を飲んでいたと思う」と話した。
晩餐会場で最も話題を生んだメニューは、やはり平壌冷麺だった。大統領府関係者は「韓国の平壌冷麺店が(首脳会談当日)盛況だったというニュースを伝えたところ(参席者が)喜んだ。それこそ爆笑が起こった」とその場の雰囲気を伝えた。この関係者は「汁冷麺(ムルネンミョン)と、混ぜ冷麺(ピビムネンミョン)らしい真っ赤な冷麺があった」として「真っ赤な混ぜ冷麺を大皿冷麺と呼ぶようだったが、正確な名称は分からない」と説明した。文在寅大統領夫妻と金正恩委員長夫妻の選択は汁冷麺だったという。
南と北の晩餐文化の違いも紹介された。大統領府関係者は「私たちは(事前のシナリオにともなう)公開的公演の雰囲気だが、北側では余興が強調される晩餐が日常化されたという」と伝えた。南側が準備した公式的公演が終わった後には、約束されていなかったアドリブ公演が繰り広げられたという。北側の芸術団は「男は船、女は港」を歌手ユン・ドヒョンさんとともに歌い、歌手チョ・ヨンピルさんはヒョン・ソンウォル三池淵(サムジヨン)管弦楽団長を舞台に呼び「あの冬の喫茶店」を一緒に歌った。大統領府関係者は「歌手チョ・ヨンピルさんは、ヒョン団長と一緒に歌を歌い、『平壌(ピョンヤン)ではヒョン団長がキーを私に合わせてくれたので、今日は私がキーを合わせる』と言いました」と伝えた。ユン・ドヒョンさんは「雰囲気を盛り上げる」と言って、自身が持ってきたギターを演奏し「私は蝶」を歌ったという。
晩餐会場で済州(チェジュ)の小学生オ・ヨンジュン君が歌った「故郷の春」が予定外の曲だったことも公開された。大統領府関係者は「オ・ヨンジュン君は『風が吹く所』だけを歌う予定だったが、司会者が要請すると快く『故郷の春』を歌うと応じた。本当は雰囲気を損なうかと思って除いた曲だったが、李女史と金副部長、ヒョン・ソンウォル三池淵管弦楽団長たちが唱和した」という。李女史が「故郷の春」の一部を唱和する場面は、放送を通じて伝えられた。北側では“妖術”と呼ぶ“マジック公演”も繰り広げられた。晩餐参席者の話を総合すれば、このマジシャンは南側の参席者から5万ウォン紙幣(約5千円)を受け取ると、あっと言う間に1ドルコインに変え、お金の価値が違うと言うと再び5万ウォン札に変えて返したという。その後1ドルを自由自在に増やし10ドルに、その後は100ドルに変えて参席者を驚かせた。
この日の晩餐のハイライトの一つは、チョコレートで作った殻を割ると、「朝鮮半島旗」が出てくるデザートだったという。大統領府関係者は「文大統領と金委員長が困難と差異を壊すという意味で、一緒に割るパフォーマンスがあり、続けて各テーブルでも小さな殻のデザートを割って、歓声を上げもした」と話した。“宴会場の余興”は予定時間をはるかに越えて終わった。午後6時30分に始まり2時間程度と予想していたが「あまりに和気あいあいとした雰囲気なので9時10分にようやく終えることができた」と当時の現場の状況を伝えた。