本文に移動
全体  > 文化

ソウル・光州・大邱・仁川・釜山…韓国の宝探し10カ所を訪ねてみてください(下)

登録:2018-02-16 17:36 修正:2018-02-18 08:02

■恐竜が展示された洞窟、光明洞窟

光明洞窟の内部=光明市提供//ハンギョレ新聞社

 1912年に開業し、1972年まで金・亜鉛・銅を採掘した光明市(クァンミョンシ)駕鶴(カハク)鉱山(光明市駕鶴洞85通り142)が、テーマパークに生まれ変わった。会社の不渡りで廃鉱になったこちらはその後、蘇莱浦口(ソレポグ)塩辛を保管する倉庫として使われていたが、光明市が安全補修作業などを実施し、展示空間・ワイン試飲場と保存所として再オープンした。地方自治団体が主導したプロジェクトだが“官製臭さ”が全くなく、充実した展示物、すっきりした施工が際立っているという専門家たちの評価を受けている。現在は光明洞窟内のラスコー展示館で「恐竜体験展」が開かれている。5億5千万年前、先カンブリア代の地質層がある洞窟で、ジュラ紀時代の恐竜に出会うことができる。失踪した恐竜博士を探しに行く旅行形式でなされる体験型展示だ。この洞窟での駐車は、洞窟下の「光明市資源回収施設」の駐車場を利用でき、開峰(ケボン)・鉄山(チョルサン)・光明(クァンミョン)駅から17番バスに乗れば洞窟までまっすぐ行ける。

■都市の小さなオアシス、光州ポリ 1,2,3

光州クックポリのフェイスブックより//ハンギョレ新聞社

 “芸郷”光州(クァンジュ)は、最近公共美術で新たに照明を受ける都市になった。都市のあちこちに実力ある建築家や芸術家の小型建築物を設置する「ポリ事業」が2011年に始まり、昨年3次事業が終えられた。1次プロジェクトでは11戸、2次では8戸、3次では11戸、今までにい計30戸のポリが作られた。ポリとは、本来装飾的役割をする小型建築物を意味するが、光州ポリは活力を失いつつある都市を生かそうとの趣旨で企画された。特に、山水洞(サンスドン)と忠壮路(チュンジャンノ)を舞台にした3次プロジェクトでは、1,2次に比べて機能性と実用性が際立っているとの評価を受けている。青年失業と空き家・廃屋問題を、食堂とカフェというテーマで解決する<クックポリ>、アジア文化の殿堂と無等山(ムドゥンサン)を眺める所に憩い場を提供した<ビューポリ>、車の通行が禁止されたところに作られた<アイ・ラブ・ストリート>、市民からの公募アイディアで作られた<ポンポンポリ>がある。街を歩いてクックポリカフェ豆屋(金曜日は休業)で熱いお茶の一杯も良いだろう。

■大邱工具街で時間旅行

工具博物館フェイスブックより//ハンギョレ新聞社

 戦車だって作れる場所はどこかと尋ねれば、ソウルの人は清渓川(チョンゲチョン)と答えるが、大邱(テグ)の人々には北城路(プクソンノ)が正解だ。1950年代、アメリカの軍需物資用工具を流通する商店が形成され、大邱・慶尚北道一帯で使われる工具のほとんどがこちらから供給されたと知られている。都心から近く、賃借料が安いという利点のために、工房、カフェ、作業室、建築会社の事務室などが相次いで店を開け、不況に苦しんでいたこちらも活気を得た。工具店の主人が廃業して寄贈した製品を展示する工具博物館(中区太平路(テピョンノ)2街)も生まれた。1930年代にコメ倉として使われた近代建築物を改造して作り、技術者の作業空間を再現した。敵産住宅を改造して、2階には畳部屋をしつらえたミックスカフェ北城路など、特異な店を巡るのも面白い。工具通りの裏路地の香村洞(ヒャンチョンドン)には、時間が止まったように日帝時代の建築物が残っている。香村洞は、6・25戦争(朝鮮戦争)で避難してきた芸術家・文人が出入りした所で、詩人の具常(ク・サン)、画家の李仲燮(イ・ジュンソブ)らの足跡が残るところだ。キム・ランギ博士は「大邱は路地踏査旅行が盛んなところだが、香村洞はまだあまり知られておらず、ほとんど手がついていない」として、工具街とともに香村洞を見て回ることを薦めた。

■ 映画『1987』のヨンヒが暮らしていた所、木浦タスンクミ村

映画『1987』を撮影した木浦(モクポ)タスンクミ村。木浦市がセットとして「ヨンヒのスーパー」を建てた=CJ E&M提供//ハンギョレ新聞社

 暖かい入り江という意味のタスンクミ、儒達山(ユダルサン)の麓にある温錦洞(オングムドン)タスンクミ村は、日帝時代にレンガ工場があった所で、かなり繁盛した村だった。古びた住宅と狭い路地、急な階段で有名なこちらは、観客700万人余りを動員した映画『1987』でヨンヒが暮らした町内として登場し、新たに注目されている。木浦市は“ヨンヒのスーパー”を再現して観光商品として整えた。“ヨンヒのスーパー”の裏には太平洋戦争末期、空襲に備えて作られた大型の防空壕も残っている。キム・ランギ博士は「タスンクミは貧しい漁師たちの貧民街だった。漁に出た父親たちが家に帰ってくる時期がほとんど同じために、子供たちの誕生日まで同じという話がある由緒深い町内」と話した。

■古書店街、仁川ペダリ村

ペダリ(船橋)村の最古参アーベル書店=資料写真//ハンギョレ新聞社

 仁川市東区金谷洞(クムゴットン)一帯。ペダリ村は19世紀末まで村の入り口に海水が入ってきて船(ペ)がつく橋(タリ)があるため“ペダリ”と呼ばれたという。

 昔は仁川の人々は本を安く買うためにペダリ村に行ったというが、今も古本屋が残っている。1973年から営業してきたこの地域の最古参、アーベル書店に寄ってみよう。本屋であり、村の憩いの場の役割を果たしているナビナルダでは心豊かに茶を飲みながら本を読んだり、主人が自らリフォームした小道具や服、ハーブ茶を購入することもできる。開校100年を超える最初の公立普通学校である昌栄(チャンヨン)小学校、韓国初の近代式私立学校である永化(ヨンファ)小学校なども見ることができる。しかしペダリ村に行けば、忘れてはならないことがある。こちらは仁川市の産業道路建設計画とこれに反対する住民たちの闘争が何年も続いている“開発-保存の闘争地域”だ。醸造場を文化空間として再生したスペースビームを運営しているミン・ウンギ代表たちが、松現(ソンヒョン)トンネル前でテント座り込みをしている理由だ。

■階段道を休み休み、釜山イバク道

釜山イバク道=キム・ランギ氏提供//ハンギョレ新聞社

 釜山のルーツを感じるには“登って見ろ”と言う。釜山の山の村を横切る道、山腹道路へ向かってみよう。山腹道路の中でも最も有名なのは草梁洞(チョリャンドン)のイバク道。イバクとは、話(曰く)があるところという意味。こちらの急峻な「168階段」の前に立てば開いた口が塞がらない。ロープウェイが開通し一気に上がることもできるが、階段の中間中間で休みながら登り、釜山市内の全景を見下ろす楽しみもある。1922年に建てられた旧百済病院。IU(アイユー)が「夜の手紙」のミュージックビデオを撮影した日本式家屋の貞蘭閣(チョンナンガク、1943年)など、近隣の近代文化遺産を楽しめるというおまけもある。

イ・ジュヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )s
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/832399.html韓国語原文入力:2018-02-15 15:10
訳J.S

関連記事