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ソウル・光州・大邱・仁川・釜山…韓国の宝探し10カ所を訪ねてみてください(上)

登録:2018-02-16 17:30 修正:2018-02-18 08:03

 秋夕(チュソク)の10日連休に比べれば今回の旧正月連休は残念ながらあまりに短い。遠くへ行って遊ぶことはできなくても、近隣で最近新たにお目見えしたホットな空間を見て回ってはいかがだろうか。ナム・ギジュン『環境と造景』編集長と最近『人文学で会う都市路地旅行』を出した“路地の専門家”キム・ランギ氏が気軽に行って来れる全国の宝物のような場所10カ所を推薦する。

■石油が芸術になってあふれてこぼれる文化備蓄基地

文化備蓄基地フェイスブックより//ハンギョレ新聞社

 ソウル市麻浦区(マポグ)のワールドカップ競技場近隣の文化備蓄基地(麻浦区甑山路87)は、オイルショックで経済が揺らぐ衝撃を目撃した朴正煕(パク・チョンヒ)政府が、ソウル市民が一カ月程度消費できる量の6907万リットルの石油を保管した石油備蓄基地が母胎だ。1976~78年、毎峰山(メボンサン)南側の傾斜地の岩盤を掘削して作られた石油タンクは、過去41年間一般人の接近が統制された1級保安施設だった。2002年にワールドカップ競技場が建設され、石油備蓄基地は危険物保存施設に分類され閉鎖され、2014年までバス駐車場・ワールドカップ大橋現場事務室として使われた。2013年に市民アイディア公募を通じて、複合文化空間として出なおした文化備蓄基地は、既存の建築物を無駄にせずリサイクルして、産業化時代の“粗削りな美”をよく表わした。高さ15メートル、直径15~38メートルの既存の石油保管タンク5個のうち4個は公演会場・講義室・話の館などに生まれ変わり、既存のタンクから解体された資材を利用して作った一個のタンクは、カフェテリア・会議室を備えたコミュニティ・センターとして使われる。

■アーバニズムの真髄を見せるソウル延禧洞

ソウル市西大門区延禧洞一帯の路地風景=資料写真//ハンギョレ新聞社

 最近最も“ホット”と言われるソウル市西大門区(ソデムング)延禧洞(ヨニドン)、延南洞(ヨンナムドン)には、美味しい店も多いが住宅見物も見逃せない。1960年代に建てられた延禧洞の戸建て住宅が、カフェ、衣料品店、食堂などに変わり、打ち放しコンクリートの外装、外階段、沈床園、広い窓など、その姿に共通点がありながらも各自の個性が生きている。この地域で建築業を営むキム・ジョンソク・クウムパートナーズ代表の作品だ。1993年から延禧洞で暮らしたキム代表は、この町内に50軒を超える建物をリノベーションし「まったく新しい都市を創造」した。目立とうとせず町内の統一性に寄与するキム代表の建築は、「疎通、対話、連係と脈絡のデザイン」 「私有財産と都市の対話の相互作用を見ることができる現実の教科書」(チェ・イギュ啓明大教授)という賛辞を受けた。

■宝探し遊び、ソウル筆洞のストリートミュージアム

“ドゥンジ(巣)”ストリート・ミュージアム//ハンギョレ新聞社

 ソウル地下鉄忠武路(チュンムロ)駅4番出口を出て、南山(ナムサン)韓屋村(ハノク マウル)方向に2分ほど歩けば、あちこちで小さい美術館に出会える。韓屋村の内外に、曲がり角、継ぎ目、井戸、路地、巣、思弁三角、コンテナ、PPPP壁の8館のストリートミュージアムがある。路地、継ぎ目、井戸は韓屋村の中にあり、残りは路地のあちこちに隠れている。忘れられたような切れ端空間に作られた設置美術品が道行く人をうれしく迎える。ストリートミュージアムの観覧方式は、インフォメーションセンターでスタンプカードを受け取り、ストリートミュージアム8館をすべて巡ってスタンプを捺す。インフォメーションセンターの隣の建物にあるベーカリー24でスタンプが埋まったカードを見せれば、飲み物の割引などの恩恵が受けられる。現在、ベーカリー24の2階特別展示館では、ハン・ソンピル、チョン・ダウンの2人の作家による企画展『重と包』が開かれている。

“曲がり角”ストリートミュージアム//ハンギョレ新聞社

■古さの中の多様性、清涼里復興住宅団地

ソウル市東大門区清涼里洞の復興住宅団地=キム・ランギ氏提供//ハンギョレ新聞社

 1958年ソウル市が宅地造成を始めて建設された。当時、開発に対する強い希望を込めた住宅団地であり、その名も「復興」。60年の歳月の間に500軒近い家々と当時造成された路地が原型のままに保存されている。もちろん家屋は必要に応じて少しずつ増改築してあるが、当時の路地の情緒はそのまま生きている。この地の由来をさらにさかのぼれば、もともとこの地域は昌徳宮(チャンドックン)の敷地だったが、日帝が入った以後こちらを清涼公園に指定し、すべての開発行為が禁止された。その後、山林研究院、科学技術院などが作られ、一部は復興住宅団地に変貌した。近隣の洪陵(ホンヌン)は、朝鮮高宗(コジョン)の后妃である純献(スンホン)皇貴妃(厳妃)の墓があり、旧韓末の歴史を垣間見ることができる。

イ・ジュヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )s
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/832399.html韓国語原文入力:2018-02-15 15:10
訳J.S

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