13日、南に逃走した北朝鮮軍人は、当初軍用ジープを運転して南に渡ろうとしていたものと明らかになった。当時北朝鮮軍は、拳銃やAK小銃の実弾40発を発射するなど、一触即発の緊迫した状況だった事実も確認された。
合同参謀本部の関係者は14日、記者説明会で「前日午後5時30分から午後11時3分まで水原(スウォン)の亜州大学病院で1回目の手術をし、拳銃とAK-47小銃の弾頭5発を除去した」と話した。休戦協定上、板門店(パンムンジョム)共同警備区域(JSA)では拳銃以外に自動火器を携帯できない。
脱北した北朝鮮軍人は銃弾を受けた傷で臓器7カ所が損傷しており、現在生命維持装置で呼吸している。手術を執刀したイ・グクジョン亜州大学医学部教授は同日、「あと10日の間は峠を越えなければならない。傷ついた臓器の糞便の汚染が深刻であり、強制的に縫合しておいた状態」と話した。イ教授は「臓器の汚染が深刻で出血がひどく、傷がなかなか治らない。命に支障はないと下手に話す段階ではない」とし、「2回目の手術は明日か明後日、経過を見て決める」と付け加えた。
今回の事件は昨日午後3時14分、北朝鮮軍3人が、板門店北側地域にある板門閣前の道路を東から西方向に走っていくところが確認されて始まった。合同参謀関係者は「1分後の3時15分、軍用ジープ1台が南側に走ってきて軍事境界線の北側10メートル地点の排水路にかかって止まると、北朝鮮軍人1人がジープから飛び降りて南側に駆けつけ、板門閣前の道路を走ってきた北朝鮮軍3人と周辺の詰め所から出てきた北朝鮮軍1人が追いかけ、拳銃とAK小銃40発を撃った。一瞬のできごとだった」と話した。
これと関連して、14日の国会国防委員会では、自由韓国党のチョン・ジンソク議員などが「北朝鮮軍の銃弾が韓国側地域に落ちたと推定されるが、なぜ何の対応もしなかったのか」と問い詰めた。ソ・ウク合同参謀作戦本部長は「国連軍司令部の交戦規則は、第一に、味方に危害を加えている状況なのか、第二に、危機の高まりの懸念がないかなどを判断し対応するようになっている」とし、「当時、北朝鮮軍は自分たち同士で銃撃を行っていた。味方に危害が起こる状況ではなかった」と釈明した。合同参謀関係者は「韓国側地域で北朝鮮軍の銃弾の被弾の跡もまだ確認されていない」と付け加えた。
北朝鮮軍人は16分後の3時31分、軍事境界線の南方50メートルで倒れているのが韓国軍に発見された。合同参謀関係者は「落ち葉の周辺に倒れており、肉眼で見つけるのが難しかった。赤外線戦場監視カメラ(TOD)で確認した」と話した。発見25分後の午後3時56分、倒れていた北朝鮮軍人に韓国軍警備隊隊長(中佐)ら幹部3人が低い匍匐で接近し、南側地域の「自由の家」の後方の安全な場所に移した。救助が直ちに行われなかった背景について、合同参謀関係者は「当時、北朝鮮後方に兵力の動きが確認されるなど、緊迫した状況だった。我々も状況を判断して対応態勢を整えるのに時間が必要だった」と話した。北朝鮮軍人はすぐに車両でキャンプ・ボニファスに移送され、そこから国連軍司令部のUH-60ヘリコプターで水原の亜洲大学病院に運ばれた。
事件が合同参謀本部に初めて報告された時間は、北朝鮮軍の銃声が聞こえてから18分後の午後3時33分だ。ソ・ウク本部長は同日、国会国防委員会で「報告遅れ」という指摘に対し、「緊急状況報告は15分以内に行うことになっているが守れなかった。現場で状況を把握して措置するのに時間がかかったようだ」と釈明した。また、ソン・ヨンム長官には事件発生1時間10分後の午後4時25分に報告された。ソ本部長は「長官が当時、国会予算決算委員会に出席中だった。報告が遅れたのは私を含めた実務陣の失態だった」と話した。