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‘ハンギョレ’とDJ, 特別な縁

登録:2009-08-20 12:57

原文入力:2009-08-19午後10:08:39
[金大中前大統領逝去]
創刊株主として5000万ウォン‘さっと’
創刊号受け取って‘感激’

パク・チャンソプ記者

←コ・グァンホン ハンギョレ新聞社社長(最右端)等<ハンギョレ>弔問団が19日午前、金大中前大統領臨時葬儀室が用意されたソウル,新村セブランス病院葬儀場で黙祷している。 右側二番目からチェ・ハクレ,コ・ヒボム前社長,ソン・ハンヨン編集局長. 写真共同取材団

金大中前大統領と<ハンギョレ>の縁は深く格別だ。
縁は1988年ハンギョレ創刊時に遡る。当時、平民党総裁であった金前大統領は5000万ウォンを喜んで寄付し、国民主新聞ハンギョレの創刊株主として参加した。そしてハンギョレ創刊号が発刊された1988年5月14日午後にはハンギョレ新聞社を直接訪れた。ソン・ゴンホ ハンギョレ初代社長などと共に創刊号を手にとり感激に震えた。彼は編集局・工務局などを見回りハンギョレの人々を一人ずつ激励した。

金前大統領は1991年ハンギョレが楊坪洞から孔徳洞に社屋を移した時も訪れた。当時彼を案内したチェ・ハクレ前ハンギョレ社長は「金前大統領が‘創刊してからいくらも経たないのに、このように社屋まで作るとは感慨無量だ’と話していた」と伝えた。1998年5月15日創刊10周年記念式には現職大統領身分で参加し祝辞を述べた。彼は「ハンギョレがあることにより民主主義と正義,民族統一の問題が私たちの社会でより活発に議論され影響を受けた」として「国民が作り育てたハンギョレが国民によって一層発展することができるようにすることがここに集まった私たちの義務」と力説した。

紙面を通した縁も格別だ。彼は野党の有力政治家だったが、保守言論の評価はケチくさかった。ハンギョレを通じて既存言論による否定的なイメージで上塗りされてきた政治家DJの面目が多少客観的にあらわれることになったという評価が多い。1980年代末~90年代初め、ハンギョレで政治部記者を務めたユン・ソギン希望製作所副所長は「ハンギョレが出てくる前までどんな言論でも均衡と愛情を持ってDJ記事を書いたことがなかった」と回顧した。

金前大統領は機会がある度にハンギョレと単独インタビューを行った。ハンギョレ創刊記念日の5月15日と1月1日付紙面に載せられたインタビューだけで7回に達する。

パク・チャンソプ記者cool@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/372092.html 訳J.S