コンサート直後、全国封切りを祈り
参席者が500万ウォンを寄付
「あ、こういう日が来たんですね」
チョ・ジョンネ監督は司会者が封切り予定日を尋ねると、しばし抑えきれない感激に胸を詰まらせた。「結局作れない映画、作っても人々が観ない映画」と言われ続け、ようやく今はじめて“封切り”の話ができる状況に至ったためだ。 ある大企業の投資・配給会社は、この映画に対する投資を検討したがあきらめ「監督、生きて帰ってきてください」と言ったという。今、チョ・ジョンネ監督は死んだ少女の霊魂を蘇らせ故郷に連れて帰る自身の映画の内容のように、市民の力で『鬼郷』を完成させ映画界に生きて帰る直前にある。
ハンギョレ21が読者たちを招いて11月18日夜、メディアカフェ「フー」で開催した「必読コンサート」の第二の主人公は『鬼郷』チームだった。 ハンギョレ21は投資家を見つけられなかった『鬼郷』の製作費を調達するためにポータルサイトのダウムカカオで二度にわたりニュースファンディング(ストーリーファンディング)を行った。3万5千人の市民がこのファンディングを通じて約6億ウォン(約6千万円)を後援した。 市民が直接参加して製作・後援はもちろん全国上映(試写会)まで作っていくファンディングは文化界でも初めての試みだった。
今回の必読コンサートは、日本軍慰安婦被害少女の話を扱った映画『鬼郷』が作られるまでに体験したことを振り返り、その難関を突き抜けて来た製作スタッフを応援する場であった。『鬼郷』に関心がある市民80人余りが席を共にした。『鬼郷』で慰安所に引きずられて行く主人公“チョン・ミン”と同じ年齢である14歳の女生徒を含め中高生も多数参加した。 客席には日本人の姿もあった。 問い合わせは多数あったが、場所が狭いため全員を招待できないほど関心が高かった。
今回のコンサートは昨年『鬼郷』のための全国後援コンサートを開いた混成グループ「バンドジョー」(BAND JOE)の公演で始まった。 続いてチョ・ジョンネ監督、映画で日本軍兵士としても出演したイム・ソンチョルPDが製作全般に対する話をした。太鼓を叩く“鼓手”としても活動しているチョ監督は、民謡を専攻するオムジさん(20)と国楽公演も披露した。 オムジさんはこの映画で火に焼けて亡くなる慰安婦少女を演じた。 『鬼郷』は映画の最後に少女の霊魂を蝶々に乗せて帰郷させるが、中学生のウォン・チェヒさんがそんな気持ちを込めて歌「蝶々」をバンドジョーとともに歌った。観客は生命の危険もあるクッシング病という稀少病を病みながらも製作費を準備するために飛び回ったイム・ソンチョルPDが白凡 金九(キム・グ)先生の外従孫という事実を聞いて驚いた。
チョ監督は「慰安婦被害生存おばあさんたちに『私たちがされたことを忘れずに記憶して、多くの人々が知ることが出来るよう力を貸して欲しい」と頼まれたので、この映画をあきらめることはできなかった。 一人、また一人と亡くなるたびに申し訳なくて焦りもしたが、ようやくほとんど完成までこぎつけて感激している」と語った。
チョ監督は1次編集本を完成して10月30日にドイツのベルリン映画祭(来年2月開幕)に作品を申請した。ベルリンに自分で行って締め切り3時間前に作品を申請できた。 現在コンピュータグラフィック等、詰めの作業に没頭していて、来年3月1日頃の正式封切りを目標にしている。封切りに先立って12月10日から慶尚南道居昌(コチャン)を皮切りに後援者のための全国試写会を始める。 韓国映画史上、最も長いエンディング クレジット(合計5万人余の後援者の名前)が流れる。
チョ監督は「この映画を(新たな外交葛藤を引き起こす)戦争の道具ではなく平和の道具として使ってほしいと毎日祈ってきた」として、慰安婦問題の早急な解決を期待した。 過去(慰安婦問題など)をよく整理してこそ未来に進む方向が見える。『鬼郷』は過去の話ではなく、現在と未来の話だ。 この日このような趣旨に共感したある女性参席者は、必読コンサートが終わった後に500万ウォンをこの映画に追加後援した。