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[寄稿] アジアン・パラドックスと東アジア地域統合

登録:2015-05-18 09:11 修正:2015-05-18 10:32

 「アジアン・パラドックス」は、相対的に高い経済協力と相互依存の水準に比べ、政治と安保次元で葛藤が持続する東アジアの状況を称する時に使う表現だ。この概念は、韓中日間で外交的緊張が高まる時においても経済活動は順調に進行しているように、政治と経済の非対称的関係を理解する助けになる。しかし、この用語は統合に対する誤った前提と、アジアの現実に対する錯覚現象を土台にしており、アジアだけに現れる逆説として名づける根拠は薄い。

 まず、ヨーロッパ統合の経験に照らしてみれば、経済統合が先に進み、政治統合が時差を置いて後からついてくる地域統合の一般的な順序という点で、政治と経済関係の不均衡は必ずしも矛盾するかのごとく表現される必要はない。ヨーロッパは1952年のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の発足をはじめとする経済協力が始まった後、1992年に本格的な政治統合体であるヨーロッパ連合がスタートするまで40年の時間を必要とした。このような不均衡を前提にしても、アジアの現実が経済と政治領域の間の矛盾を示すほど高い水準の経済統合を見せてはいない。

 例えば経済統合の段階を、領域内国家間の関税撤廃を意味する最も低い水準の自由貿易協定段階、加盟国間の関税撤廃と域外国家を相手にした共同関税賦課を推進する関税同盟段階、そして労働・資本・商品・サービスの自由な移動を保障する単一市場段階、最後に共同貨幣と中央銀行などの導入を通じて加盟国間に経済政策を調整する経済連合段階と分けるなら、東アジアの統合水準は、まだ最初の段階である自由貿易協定の交渉程度に留まっている。もちろんこのような現実の裏面には、2011年基準で東アジア16カ国の領域内貿易依存度が44.5%で、ヨーロッパ連合の62.6%より低く、地域内経済統合の誘引より地域外部に向かった輸出中心経済構造がはるかに強力な現実がある。

 しかしアジアン・パラドックスが持つさらに深刻な含意は、この概念が、地域統合を当然成し遂げねばならない目標を前提にし、その過程で政治が障害物となっているように、検証されていないなんらかの方向性を設定しているという点にある。東アジアの秩序は、2千年に及んだ中国の覇権時期と、百年続いた日本の覇権時期を経て、再び中国が過去の覇権的地位の回復を試みている。圧倒的覇権国家のない多者関係を通じて地域統合を成し遂げたヨーロッパとは異なり、東アジア統合の未来は、中国または日本の影響力の下に置かれる可能性が高いので、米国は一度もアジアで地域統合を支持したことがなかった。最近では、中国を牽制するため日本を支持することにより米国の東アジアの外部的均衡が維持される中にあって、内部的に領域内国家は、相互間の階層秩序なしに各自が自律性を持つ無政府状態を好んでいる。

キム・ナムグク高麗大政治外交学科教授//ハンギョレ新聞社

 すなわち東アジアで地域統合が進展しない理由は、低い領域内貿易依存度以外にも、地域国家が現在の自律性と無政府状態が自らの利益に最善だと感じ、統合のためのいかなる状況変更と犠牲も望まない点にある。近頃のヨーロッパ危機から分かるように、地域統合は平和のための安定した枠組みを提供するが、同時に加盟国家の自律性を制限し、個別の政策手段を諦めさせる。換言すれば、アジアン・パラドックスが前提にする先験的な市場論理にともなう統合は、民主的責任性においても、独立した主権と同じ政治的価値を容易に犠牲にさせる。結局、統合の目的と主体、方法に対する十分な討論のない経済的理解だけを求める地域統合の動きは、東アジア的アイデンティティと民主的価値を共有する市民の参加によって均衡を得る必要がある。

キム・ナムグク高麗大政治外交学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-17 18:49

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/691556.html 訳Y.B

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