
参与政府の均衡外交“知られざる中身”を記録したイ・ジョンソク元統一部長官
「(2005年の)9・19共同声明は、韓半島を越えて北東アジア全体の安保地図を書き換える、とてつもなく大きな合意だった。この声明がきちんと履行されていれば、おそらく今頃は韓半島の平和体制が盛んに建設中であり、北東アジア多国間安保協力体が稼働していることだろう。また、南北経済協力が深化して、私たちは韓半島経済時代を切り開き、新しい跳躍を成し遂げていることだろう。」
参与政府時代の政権引き継ぎ委員会を経て、国家安全保障会議(NSC)事務次長、統一部長官を歴任した、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の統一外交安保分野の核心的側近であり実力者だったイ・ジョンソク(56・写真)元長官が、最近、著書『刃の上の平和-盧武鉉時代の統一外交安保備忘録』(蓋馬(ケマ)高原出版)の中で書いている言葉だ。本を書いた2014年、今の時点での話だ。
現実には望めない歴史的な仮定を一度やってみよう。もし彼の言うとおりになっていれば、天安艦事件も延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件も起こらなかったかも知れず、多くの生徒が金剛山(クムガンサン)・妙香山(ミョヒャンサン)に修学旅行に行っているかも知れず、北には開城(ケソン)工団のような南北合作工業団地が複数生まれ、ワタリガニ漁が盛んな京畿(キョンギ)と黄海道(ファンへド)の西海(ソへ)沿岸は南北の自由航行や漁労安全海域になっていたかも知れない。今頃は、北を経由してシベリア横断鉄道を利用しようとする観光客と貨物でソウル駅と釜山(プサン)駅がごったがえしているかも知れない。
インタビュー ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr
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9・19声明のとてつもなく大きな合意が履行されていたならば
北東アジアの安保地図が変わっていただろう
戦略的柔軟性など参与政府の実利外交を
客観的事実として見せたかった
もちろん現実はそうならなかった。その理由はいろいろあるだろうが、イ元長官は9・19合意を待っていたかのように出てきた米財務省の“マカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行疑惑”提起を決定的要因に挙げた。 そして北朝鮮によるドル偽造紙幣流通疑惑と関連したバンコ・デルタ・アジアの疑惑を意図的に流布したにせよ、あるいは結果的に利用したにせよ、それによって9・19合意を挫折させた「強大国の一方主義」、特に「宗教的善悪の観点から北を眺めながら」「金正日(キム・ジョンイル)を感情的に嫌悪し、彼を対話と協力の相手として受け入れなかった」ジョージ・ブッシュ大統領と米国のネオコン(新保守主義者)らの一方主義と覇権主義を、破綻要因として指摘した。それは2005年9月に行うことで南北間で内定していた“盧武鉉-金正日首脳会談”まで頓挫させた。2000年6月15日に続いて2005年9月に第2次首脳会談が予定通り開かれていたら、韓半島の歴史はまた、大きく変わっていたかも知れない。
それに同意しない人も当然多いだろうが、イ元長官はこの4年間、自分のそのような主張を裏付ける膨大な資料と証言を準備して、600ページ近い本の中に解き放った。 彼の主張に反対する人々でも非常に気になる内容だ。
「私の個人的な話もあるが、ほとんど全てが国家統一外交安保分野に関する証言だ。7~8割はこの本で初めて公開することだ。盧大統領がすべき話だが、亡くなっていらっしゃらないので、私が代わってでも残しておく必要があると考えた。」
“盧統”(盧武鉉大統領)の北東アジア均衡者論に
“親中反米”のレッテル貼りをしていた人々が
朴槿恵政府には“均衡外交”と賛辞を贈る
統一大当たり論は原論過剰で実行戦略が無い
19日、ハンギョレ新聞社を訪れたイ元長官は、以前より健康そうに見えた。「週に2回ぐらいは5キロ以上走ったり歩いたり、また3,4時間ずつ山道も歩く。」 長官退任後、世宗(セジョン)研究所首席研究委員として勤務し、韓半島平和フォーラム共同代表でもある彼は、研究活動と講演、講義、学術会議など、依然として忙しいと言った。
彼は本を書いた理由をもう一度説明した。「参与政府が統一外交安保分野で遂行したことについて、その成功と失敗、成就と試行錯誤、誇りと残念さを、何故そうしたのか、あるいは何故そうせざるを得なかったのか、その理由とともに、ありのままを記録に残さなければならないという歴史的責務を感じた。」
最も残念だった点として彼は、9・19合意の履行が成されなかったこと、在韓米軍の“戦略的柔軟性”の認定を主権放棄と見なした“誤解”、事実を歪曲してまで参与政府を非難し脅した有力保守系マスコミ、政府内外の既得権勢力の蠢動などを挙げたが、その中でも筆頭は、政権初期に掲げた「北東アジアの均衡者の役割を貫徹できなかったこと」だという。当時、韓米同盟の破棄だとか、「韓国にいったい何の能力があって、米中間における均衡者になると言うのか?」などの批判を浴びせ、“親中反米”というレッテルまで貼りつけた勢力が、7年が過ぎた今、朴槿恵(パク・クネ)政府が標榜する“均衡外交”を支持するのを見ると「厚顔無恥だという思いと共に、驚きもし嬉しくもある」と語った。 潘基文(バン・ギムン)外交通商部長官が国連事務総長になれたのも、米国に批判的な国々と中国などの支持まで得ることができるようにした参与政府の均衡外交のおかげだと彼は付け加えた。
米国が在韓米軍の部分撤収まで連携させて要求した戦略的柔軟性問題についてイ元長官は、参与政府が米国の介入する北東アジア地域紛争に韓国が自動的に巻き込まれることがないようにする留保条項をつけて、台湾有事など米中衝突の際に在韓米軍基地を発進基地と想定していた米軍の意図に釘を刺したことで、むしろもっとプラスになった面もあるとして、その現実主義路線を評価した。韓米同盟も「自主的同盟か、(対米)依存的同盟かによって、対中国外交で非常に大きな違いを作り出す」と説明した。
本を書いたもう一つの理由はこうだ。「盧大統領が誇らしい指導者だったという事実を、主観的な解釈ではなく、客観的な事実として示したかった。それを通して、盧大統領と参与政府に不当にかけられた各種の理念的・感情的非難と疑惑を死後にでも正したかった。」
彼は「当時の歴史を引っ張り出して事実を歪曲し呪って黒く塗り立てなければ存立不可能な勢力が、依然として存在するということは嘆かわしい限りだ」とか「この国の民主主義と健全な安保に脅威となる人物が既得権の上に居座って怒鳴り散らしているのは見るのもいやだった」といった表現も用いた。
イ元長官は、大統領特使ムン・ソングン(文盛瑾)の北訪問、“概念計画5029”を韓米連合司令部が主導する“戦争用作戦計画5029”に変えようとした米国の試みを拒否したこと、政治的損失を甘受して核問題と連携させ、南北関係の進展に活用したイラク派兵などにまつわる知られざる話を取り上げ、(米国の意図通り)密かに進められているミサイル防衛(MD)体制や、戦時作戦統制権返還拒否などに対する憂慮も率直に述べている。
朴槿恵政府の対北政策・統一政策について、彼は「統一大当たり論など、原論的意志は過剰と言えるほど強いが、それを現実化する戦略、ハウトゥ(how to)がない」ということを致命的弱点として挙げた。
インタビュー ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr
写真シン・ソヨン記者 viator@hani.co.kr