週末の24日、ソウル都心で再びセウォル号事故犠牲者を追慕する大規模集会と行進が行われた。 3万人余の集会参加者は今も失踪状態である檀園高生徒たちと先生の名前を一人ずつ呼んで涙を浮かべた。
618の市民社会団体で構成された‘セウォル号国民対策会議’はこの日午後6時からソウル鍾路区(チョンノグ)の清渓(チョンゲ)広場で‘セウォル号惨事2次汎国民ろうそく行動’集会を開いた。 集会には3万人以上の市民が集まったと主催側は推算した。
歌手ユン・ヨンベさんの歌で始まった集会は、歌手ハン・ソンヒさんの‘子供たち上がろう’追慕公演と市民の発言、檀園高の友に贈る青少年の手紙朗読、‘セウォル号惨事真相究明のための特別法’制定を要求する千万人署名運動の順に進行された。 参加者たちは‘(救助の)ゴールデンタイムに何をしていたのか’、‘私たちの悲しみを投票で刻印’、‘朴槿恵(パク・クネ)も調査せよ’、‘朴槿恵 退陣’等の字句が書かれた黄色い手立て札を持った。
最初の発言者として演壇に立ったキム・ヨンホ セウォル号安山市民共同対策委代表は「遺族たちは、子供たちと家族がなぜどのようにして死んだのか、真相究明を訴えている。 国民の皆様に忘れないで欲しいと話している。 私たち国民がこの方々を絶望したりあきらめたりしないよう守らなければならない」と強調した。
全国言論労働組合KBS本部(新労組)のクォン・オフン本部長は「公営放送KBSが、事故初期に事実を報道し、権力に対する監視を正しくしていたならば、花のように美しい犠牲者は出なかっただろう。 申し訳なくて言う言葉も無い」と話した。
この日の集会には、セウォル号遺族対策委スポークスマンであるユ・ギョングン氏と生存檀園高生徒の家族代表であるチャン・ドンウォンさんも席を共にした。 ユ氏は「いまだになぜこの席にいなければならないのか分からない。 いくら考えても間違ったことはないのに、私の子供は私の前にはいなくて、私がこの場所にいる。 まだ夢であって欲しいと思う。」と話した後「大韓民国もセウォル号のように沈没している。 永遠に暮らしていたい国として蘇生させなければならない。 それでこの席に出てきました。 今後も、できるまでこの席で皆さんと共にする」と話した。
発言を終えたユ氏は続いて、3万人余りの集会参加者に残されている16人の失踪者の名前を一緒に呼んでほしいと頼んだ。 彼は「ペンモク港でも名前を一緒に呼んだところ、その翌日に(水の外に)出てきた。 皆さんが一緒に名前を呼べば、失踪者を見つけることができる」と話した。 「ウンハ、ミンジ、カユン、ジヒョン、ヒョンチョル…」集会参加者たちはユ氏の呼びかけに倣って一人ずつ失踪者の名前を呼び、一部の参加者は嗚咽を漏らした。
‘セウォル号惨事真相究明特別法’制定要求のための千万人署名運動参加を訴えたイ・テホ参与連帯事務局長は「国家安全保障のために34兆ウォンを国民の税金から出している国で、救助・救難作業に投入された潜水士には鉄の棒切れ一本を持たせて送り出す。 セウォル号惨事は再び私たちを襲うやもしれない。 世の中は自ずから良くなるわけではない。 大韓民国の操舵手は如何ともしがたいほどに無責任な人物だ」として声を高めた。
集会が終わった後、参加者たちは広橋(クァンギョ)から普信閣(ポシンカク)、鍾路(チョンノ)2街、乙支路(ウルチロ)、ソウル広場に至る3.7km区間を行進した。
この日、清渓広場のセウォル号追慕集会に先立ち、ソウル都心各地で集会とデモが行われた。 午後2時からは金属労組組合員2千人余りが三星(サムスン)電子サービス支会指導部の拘束とコヨム・ホソク烈士の遺体奪取に抗議するため、西大門区(ソデムング)警察庁前で集会を開いた。 組合員たちは1kmほど行進してソウル広場を経て清渓広場で開かれたセウォル号追慕集会に参加した。
民主労総の‘セウォル号追慕市民実践徒歩行進団’も午前9時半、ソウル衿川区(クムチョング)加山洞(カサンドン)の光明(クァンミョン)大橋北端からスタートし、汝矣島(ヨイド)、麻浦(マポ)を経てソウル駅まで行進した。 ‘じっとしていなさい’沈黙行進団も、弘大入口(ホンデイプク)から明洞(ミョンドン)を経て清渓広場まで歩いた。 セウォル号青年会の沈黙行進団と民族問題研究青年会のセウォル号真相究明要求青年行進団も各自行進の後に清渓広場のセウォル号追慕ろうそく集会に合流した。
パク・キヨン記者 xeno@hani.co.kr