7日(現地時間)米国、サンフランシスコ空港滑走路は凄惨だった。 アシアナ航空旅客機事故が発生して一日が過ぎたが、サンフランシスコ湾の海と滑走路の境界となっている防波堤から事故旅客機が止まったところまで約600m区間の滑走路には旅客機から落ちた破片で目がくらむようだった。 滑走路の入り口には旅客機後尾部分が、少し離れたところにはつぶれた着陸ギアが散乱していた。 事故現場の横に旅客機が何度も着陸し、現場を眺める乗客たちは嘆息をついた。
滑走路にこういう残酷な軌跡を残す直前、旅客機内の乗務員は乗客に通常の案内放送をしていた。 「‘乗客の皆様、席にお座りください。 シートベルトをおしめください’という機内放送を着陸直前にしました。」 7日夜サンフランシスコのあるホテルで開かれた記者会見で、事故機に乗っていたイ・ユニェ(40)乗務員は「一般的に着陸する時と変わった事はなかった」と物静かに話した。 イ乗務員は事故の時、尾骨を骨折し座ることはできず、立ったまま記者会見を行なった。 経歴19年の彼女はさらに‘旅客機後尾部分が飛んで行ったこと’さえ 「前面にいたので全く分からなかった」と話した。
彼女が事故を感知したのは、「着陸する直前に少し飛行機が上昇する感じがして、大きな衝撃を受けながら‘ダウン’した時」であった。 彼女は「‘ドーン’と衝撃があって異常着陸だと認知した」と伝えた。「強く地面に衝突し、もう一度ぶつかって右に左に大きく傾いて止まった。 一般的には滑らかに着陸するが、事故当時は着陸直前に再び離陸しようとする感じがした。」 旅客機が停止してからは 「機長の生死から確認」した。 「機長が‘異常なし’と言い、エバキュエイション(非常脱出)するか否かを尋ねると‘待ちなさい’と言った。 お客さんが動揺し、それで3度放送をした。 ‘乗客の皆様、私どもの航空機が完全に停止しました。 席にお座りください。’完全にランディング(着陸)した状態であった。」その直後 「機長から ‘エバキュエイト’という声を聞き、訓練を受けたとおりに非常脱出が進行された。」
しかし非常脱出の初期から混乱が起きた。 着陸の際に受けた衝撃で、胴体右側一番目の非常脱出スライダーが機体の外側ではなく内側に広がった。 「一人の乗務員が(瞬間的に膨らんだ)スライダーに敷かれて息ができないほど」の状況だった。 機長が斧を持ってきて該当スライダーを穴をあけて取り除き、イ・ユニェ乗務員は左側のドアを開けて乗客に脱出を指示した。 イ乗務員は2番目、3番目のドアまで行って乗客の非常脱出を助けた。
3番目のドアがある旅客機の後方には中国人乗客が多かった。 イ乗務員は「中国の乗客たちは(脱出でない)他のことをしていた。 私が大声を張り上げて、はやく出てくださいと、‘GO GO’と叫んだ。 ある乗客は脚をひどく負傷していて一人ではスライダーに乗ることができないと言ったので支援してから2番目のドアに行った」と話した。
飛行機の後方では火災で黒煙が噴き出ていた。 右側2番目のスライダーも機内側に出てきて、(押さえられた)足が抜けない乗務員が‘助けてください’と叫んだ。 火災が発生した中で、スライダーが機内に入りこんで居れば爆発の憂慮が大きい。 副機長は「お客様が召し上がったナイフでそれ(スライダー)に穴をあけて破裂」させ、イ乗務員は消火器を副機長に渡した。 彼はその後 「機長・副機長と共に後輩(乗務員)を救助し脱出させ、再び後方に行って残った乗客を」脱出できるよう助けた。 イ乗務員は病院に運ばれて行き自身がケガをしていた事実を知ったと話した。 最後まで旅客機に残った人々はイ乗務員と副機長らだったという。
事故旅客機を脱出した乗務員と乗客からは嗚咽がこぼれた。 事故旅客機に乗っていたアシアナ乗務員12人中7人は着陸直後に失神し、2人は重傷を負い病院に搬送され治療を受けている。 サンフランシスコ/ホ・ジェヒョン記者、パク・ヒョン特派員 catalunia@hani.co.kr